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衝撃を受けた研究者との出会い。投資を後押ししてくれた社長。V字回復を実現する強烈なリーダーシップを学べた幸運

日本最大規模のベンチャーキャピタルである株式会社ジャフコ(現・ジャフコ グループ株式会社)に新卒入社した僕は、入社当初は「ベンチャーキャピタルの仕事にまったく向いていない」と絶望しつつも、上司や先輩に恵まれて徐々に手応えを感じられるようになっていた。

そんな矢先に、大学発スタートアップチームへ「不本意な」人事異動を命じられた……と感じていた。しかし、自分が心底やりたいと思える「青い鳥」を探す途上にあった僕は、結果を出すべく、会社のためになることをしようと狼煙(のろし)を上げた。
そこまでが、前回のあらすじだ。


改革に挑めば会社が変わると感じた初めての手応え

当時のジャフコは、ほとんどの社員が夜遅くまで残業をしていて、会社の雰囲気も決して良いと言える状況ではなかった。

このままの状態じゃダメだと思い、従業員組合のメンバーを持ち回り制で選任していると知った僕は、自ら立候補して、従業員組合委員長に就任した。同時に、投資チームを離れてミドルバック業務で活躍していた同期の植波(現Beyond Next Ventures共同創業者)を組合のメンバーに誘った。

当時はリーマンショック直後で離職者が多かった中で、彼はジャフコに残った数少ない同期。要領良くオールマイティに何でも業務をこなせると知っていた彼に、「一緒に会社を良くしようぜ」と声を掛けた。

従業員組合委員長に就任してから、まずは従業員向けアンケートを実施し、会社を良くしていくために必要だと思うことを組合メンバーたちと一緒に話し合った。そこで挙がったのが、「家に早く帰れないことが常態化している。改善が必要」との声。組織全体が疲弊している原因の1つだった。そこで、僕たちは従業員側で「勝手に」ノー残業デーの導入を決定した。

毎週金曜日の終業時刻になると、若手の組合員が、「今日はノー残業デーですよ、皆さん早く帰りましょう!」とフロア中に大声を出して案内に回った。従業員の皆さんは戸惑いを見せつつも徐々に早く帰るようになってくれた。

当時の役員は、従業員が勝手にそんなことをやり始めたので、決して快くは思っていなかったと思う。だが、数カ月後には、定められた時刻になると自動的にPCがシャットダウンする仕組みを会社側が取り入れた。会社にとって正しいことをやれば、会社は変わることができるんだ! と手応えを感じた経験だった。

大学発ベンチャーの無限大の可能性を知った
リハビリ用ロボットスーツと山海社長との出会い

入社5年目で産学連携チームへ異動になってまず感じたことは「これはとんでもなく大変な投資領域だ」ということだった。なぜなら、その投資対象である技術・産業の領域は幅広い上に、インキュベーション投資、すなわち「シード投資」が僕のチームのミッションだったからだ。まだ創業前の「種」の状態にある研究段階か、創業直後の準備段階にいるスタートアップへのシード投資。それまで投資経験していたサービス業とも異なり、その投資は難易度が高そうだと感じた。
当時は僕も含めチームに若手が3人しかおらず、ジャフコの中で一番小さい投資チームだったので、どんなにシード投資が好きだとしても、なおさら厳しいと思った。なのでまずは、投資領域を絞ることにした。隣のライフサイエンスチームが創薬ベンチャーに投資をしていたので、僕のチームはそれ以外をやることにした。

こうして、大学発ベンチャーや大学の研究室を訪問する日々が始まる。教授や研究者の方々から唯一無二の技術を聞けるこの仕事は、純粋に面白いと思った。日本には素晴らしい研究者がこんなに沢山いるのか――。日々、感動することも多かった。一方、当時の大学発ベンチャーは経営未経験の研究者が経営の中心を担っていて、ご本人もあまり得意じゃないと思いながら無理に経営しているようにも思えた。

僕は、前部署の上司や先輩から散々「良い経営者に投資すべし」と教わってきていたが、大学発ベンチャーにはその「良い経営者」がほとんどいないように感じた。容易には解決できない大きな課題が横たわっているのを目の当たりにした。

一方で、大学教授でありながら、起業家としても素晴らしい方もいた。僕が産学連携投資チームに配属されて「この会社は、この経営者はスゴい!」と最も衝撃を受けたのは、筑波大学発ベンチャーで、世界初の装着型サイボーグ「HAL」などを展開しているCYBERDYNE(サイバーダイン)社を率いる山海嘉之社長だ。

当時はまだ医療機器として承認されていなかったが、筑波大学時代の山海教授が開発した脳卒中などの患者向けリハビリ用ロボットスーツを発展させ、CYBERDYNEは臨床研究において素晴らしい実績を出していた。

山海社長から動画を見せてもらい、僕は本当に心の底から感動した。従来のリハビリ方法では足が動かなかった人が、CYBERDYNEが開発したロボットスーツで動くようになったからだ。同じように困っている患者にとっては、この製品の価値は無限大だと感じた。

初回はフォロー投資で入ったものの、追加投資時にはリード投資家として参画した。2010年代初頭にしては巨額の15億円を超える投資額だ。ジャフコの中でもバイアウト投資を除き当時は最大規模の投資額だったと思う。1,500億円の旗艦ファンドがあり、厳選集中投資という大方針の中で、その背中を押してくれたのが、当時の社長だ。

僕は「CYBERDYNEこそがその対象だ」と、たまたまフロアにいた社長に力説。DD(デューデリジェンス=適正評価手続き)に進めることができ、後日、投資委員会の審査を無事に通すことができた。

下記は、当時の僕が取材を受けた記事だ。
ベンチャーキャピタリスト、上場へ起業家と二人三脚 「発掘楽しむ」銀行や大学院から転身
https://www.nikkei.com/article/DGKDZO56036920Q3A610C1TQ4000/
(2013年 日本経済新聞。会員限定記事)

独立後に再会した山海社長と

危機感共有と意思統一を学んだ強烈なリーダーシップの真髄

当時の社長の旗振りで、土曜日に全役員、経営幹部と部門長が集まる会議が定期的に開催されていた。末端の若手管理職だった僕は、休日返上で定期的に集まる必要があるのは、よほど深刻な状況なのだろうと感じ取っていた。

会議は、各チームの取り組みや、投資検討の状況をシェアしながら議論を進める形式。そこで明らかになったのは、チームによって取り組み方にバラツキがあったり、管理職メンバーのやる気に温度差があったりしたことだった。社長や役員から厳しい意見も飛び交い、ものすごい緊張感の中、しばし議論が白熱した。

ある日、その会議で別の部門のある先輩が生ぬるい発言をしていたので、「●●さんがそんなぬるい気持ちでやっているからダメなんじゃないですか?」と皆がいる前で僕は指摘した。経験が浅いながらも、会社を良くしていこうと思って自分の持ち場で真剣にやっていたので、そんなんじゃダメだろうと本気で思ったのだ。躊躇なく言えたのは、立場関係なく言うべきことは言うんだ、という会議の空気があったから。若手が声を上げても良いんだ、と感じられる会社の文化や雰囲気はとても大事だと思う。

こうして経営幹部が定期的に集まり、ミーティングを重ねるにつれて、未来に向けて徐々に自分たちの目線が揃っていく感じがした。逆に目線の合わない人は、結果的に退職していくこととなった。

会議を継続的に続けていく中で、少しずつ変わっていく会社の変化を実感した。こうやって組織全体で危機感を共有し、意思統一し、チームをまとめ上げていくのか、と学びになった。ジャフコのその後のV字回復は、明らかに当時の社長の手腕だ。今思い返してもとても怖い社長だったが(笑)、強烈なリーダーシップとマネジメントを末端メンバーとして学べた僕は、本当に幸運だった。


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