「誰が最後の島民になるのか・・・」冗談半分の言葉が設立のきっかけに〈休眠預金事業〉
九十九島の一つ、高島。2024年9月時点で人口約150人、約50世帯が暮らすという有人離島は、本土との交通、通信環境を含めたインフラ格差をはじめ、それに伴う教育機会の損失や島外との交流の少なさなどの問題を抱えています。
こうした問題を解決しようと「数十年後も明るい未来を共有でき、元気な有人島として存続させる」というコンセプトのもと設立されたのが、「高島活性化コンベンション協会ESPO(エスポ)」です。ESPOはどういう経緯で設立され、休眠預金を使ってどういう事業に取り組むのか。専務理事の重村友介さんら3人に話を伺いました。
きっかけは、島民の何気ない一言から
重村さんの父は高島出身。岐阜県で測量会社「ACS」を営みながらも「自分の育った高島の漁師の力になりたい。高島の魚を発信したい」と夢を語っていたといいます。その夢は約17年前、高島に水産加工場をオープンさせたことで形になりました。
重村さんが高島に関わるようになったのは、この頃。工場を開いて間もなく父が他界するなど苦しい時期はありましたが、苦難を乗り越えて島民との信頼関係を築いたとのこと。そしてオープンから約7年後、島民との何気ない会話の中で、あるフレーズを耳にするようになったといいます。
重村さんはこう思いました。
「子どもも大人も、前を向いて明るい話ができないような島ではいけない。何とかしなきゃいけない」。
これが設立の最初のきっかけでした。
数十年後の高島の未来を想う
一方、ESPOの理事で漁師の武邉義樹さんは「誰が最後の島民になるのだろうか」という島民の発言について、「半分冗談、半分本気だった」と振り返ります。
武邊さん:「私は高校卒業後、すぐに漁師になりました。今の40代の島民にとって、長男が高島で漁師をすることは当たり前。しかし時代は変わり、長男でも島外で暮らすことが当たり前になった。悪いことではありません。一人ひとりにそれぞれの人生があります。私には高校3年生の息子がいますが、残れと言ったことはない。ただ、移住する人もいない状況をずっと見ていると『30年もたてば、なくなるのかな』と半分本気だった」
山積する課題を前に思い悩んでいた過去
人口は減っていく。島の基幹産業である漁業の担い手も。インターネット環境は劣悪。通信回線だけでなく、下水道も通っていない。島と本土とをつなぐ定期船の時間の都合で、子どもたちは好きな文化や芸術、スポーツに親しめない。島外との交流も希薄化している。
こうした状況から、島民の人々は希望を持てないでいたといいます。
武邉さんも、ESPO副理事長で漁師の長尾勝吉さんも「島民はみんな『なんとかしなければ』という気持ちはあったが、どうすればいいのか分からなかった」と、悩んでいた過去を打ち明けてくれました。
しかし当時は、取るべき具体的なアクションが分からないまま、時間は刻々と過ぎていき、焦燥感は増していくばかりだったといいます⋯。
「力を貸してもらえないですか」高島の未来のため、呼びかける重村さん。次回は、「希望の意味を込めたESPO設立!ビーチで決起集会で回り始めた歯車」のエピソードをお届けします!
ーインタビュー / 文:田中翔太郎
ーnote編集:鈴木由佳子