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「ちゃんとする」ことって疲れませんか?

日本人は、理由を求めすぎではないか。

しかも、「ちゃんとした」理由を。


例えば、中途採用の面接で、求職者の職歴に空白の3年があったとする。

面接官は必ずこう聞くだろう。

「この間は何をしていたんですか?」と。

ここで求職者が

「特に何もしていませんでした。のんびりと過ごしていました。」

と言おうもんなら、必ず面接官の顔が曇るだろう。

そして、面接官はこう思うだろう。

この人は大丈夫なのか?またふらふらとどこかに行ってしまうのではないだろうか...


仮に求職者が、前の職場の人間関係が理由で離職していたら...

転職活動の面接では、離職の本当の理由を正直に言うことは難しいだろう。

だって求められているのは「○○がやりたくなった」とか、「〜な自分になりたくなった」とか、ポジティブな理由ばかり。

キャリアアップのための転職?そんなのヘッドハンティングしかないだろ。

人間関係が嫌になったとか、「ちゃんとしていない」理由は求められていない、認めてもらえないのだ。

しかし、離職の原因の多くは人間関係である。

一緒に働く人は、ひょっとすると家族といる時間より長く時を過ごすのだ。

職場の人間関係で、人は悩み、病み、自殺する。

つまり、職場の人間関係は、命に関わる問題なのだ。

なぜこれを「ちゃんとした」理由じゃないとするのだ。

次に何をやりたいかを明確にしてから転職しろ?

そんなの明確にする前に死んじゃうかもしれないんだぞ。

取り返しがつかなくなる前に離職を決意できた自分をもっと褒めて良いんだよ!


話が逸れたが、日本人が「ちゃんとした」理由を求めることは、何も転職に限ったことではない。

新卒の就活でもそうだ。

みんな大体、自己分析から始める。

自己分析で言われがちな、「なぜ?」を5回繰り返す。

「なぜ?」を5回繰り返すと、どうやら真理にたどり着けるらしい。


現在、就活をしている22卒の人たちは、いわゆる「ガクチカ」を作る大学3年生の時期にコロナが襲ってきた。

サークル幹部、バイトリーダー、インターン...

力を入れるぞ!と意気込んでいたが、タイミングが悪かった。

しかし、「ガクチカ」は大学時代のことを書くのが良いらしい。

では、大学1・2年生の時、何をしていただろうか?

バイト、サークル、遊び...

自分が将来どうなっていたいかとか、どんなことしたいとか、そんなことを考えられていた人なんて、ほんの一握りだ。

そこで力を入れて取り組んだことを書こうとしても、地雷でしかないのだ。

それをなぜやったかとか、もっと効率的にやる方法はなかったのかとか、試行錯誤して最終的に良い結果になったかとか、そういうふうに考えて生きてこなかったんだから。

しかし、面接官はどんどん深堀ってくる。

「なんでやったの?」

「課題はなんだったの?」

「なんでうまくできたと思う?」


就活生からすれば、そんなの知らない。

うっせぇ うっせぇ うっせぇわ

生きたいように生きちゃ、ダメなの?


聞く側だって、そんなに計画的に生きてきたの?

全部論理的な人生だった?

これからもそう生きるの?

自分だってもっと気を張らずに生きていきたいと思っているんじゃないの?


肩の力抜いて、生きようよ。

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