ディープな世界へようこそー宝塚ー
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今思えば20歳のころの私があのスターさんを応援していたとき、まだ本格的に深い世界までのめりこむことはなかった。
言ってみれば、ライトにちょっと毛が生えたくらいのファンだ。
ファンクラブには入ったけどお手紙は渡したことがない。
なぜなら彼女は番手が上がってからお手紙を直接受け取らなかったからだ。
ファンクラブに入った当初渡せた頃はあったけれども、当時の自分には勇気がなかった。
入り待ち、出待ちもかなりあっさりしたものであった。
笑顔の彼女を見送りをした記憶は皆無だ。
私自身まだお金もなく、細々と観劇するのが精いっぱい。
入待ち、出待ちはお金がかからずスターを間近で観られるチャンスだったので、それでも観劇の際はかならず並んだ。
笑顔が無かったとしても無料なのだから、と割り切った。
◆
ファンクラブでチケットを頼んだことは何回もあった。
当時私は席順についてそんなに気にしていなかったし
宝塚大劇場のチケットはファンクラブで頼んでいた。
席が遠かろうが定価で手に入れられればそれでよかった。
そういえば、一度だけ定価以上でチケットを買ったことがあった。
あれは20歳のお財布事情が寂しい私にとって本当に勇気がいる行動だったと思う。
そのチケットは組のトップスターのさよならが決まった直後のバウホール公演だった。
退団が決まったということで、トップスターのファンで満席状態。
そんなプレミアチケット、普通ではどうしても手に入れることができなかったのだ。
なけなしのお金でその一度きりの観劇のため手を出してみたものの、席はやっぱり遠かった。
◆
数年間彼女をずっと好きで応援していたが、ファンとしての熱量は最初のころが一番あったと思う。
トップになってからどんどん距離が遠くなってしまったような気がして、心がほんの少し離れた。
番手がつかないころのスターさんは気さくで距離感も近い。
ファンが少ない場合は気軽に話しかけてくれるスターさんもいるくらいだ。
もちろんお手紙も直接渡せるし、読んでもらえる。
人によっては入待ち出待ちで雑談もしてくれたり、
お茶会なんて裏話ばっかりで大盛り上がりだ。
ただトップとなるとファンの数も多くなり、
本人自体もかなり忙しい。
だからまんべんなくみんなにいきわたる程度のサービスをする。
過剰なサービスはしない。
その差はスターさんによって違うけれども、息を長くやっていくにはそれが良い方法なのだろう。
私はトップになる前のかわいい彼女が好きだった。
よく笑って天然連発の素顔。
彼女はトップになることで、重圧と責任からか人が変わったように笑顔が消えた。
私は彼女の男役が好きだったし、ずっと応援したい気持ちは変わらなかった。
けれども好きになった当初の情熱は消えつつあった。
退団公演が始まる頃にはお茶会に参加していなかったし、退団の最終日に開催されるフェアウェルパーティーにも行っていない。
そうして彼女が宝塚を去り、私の中で記憶がどんどん薄らいでいった。
◆
「聖夜 椿」の東京公演はしばらく続いている。
私は先日観劇したその公演を想い出していた。
本当に変わった公演だった。
脚本のせいもあるだろうけど、主演がまったくかっこよくなかったからだ。
コメディーとはいえあまりにもひどい。
「あんな役をやらせるなんて、宝塚らしくない」
ネットを見るとやはり酷評の嵐だった。
でも良かった点もある。
歌ったらものすごく上手だった。
ショーになったらさっきまでイマイチと思っていた椿が、ものすごくかっこよく見えた。
「もう一回行ってみる?」
心の中の私自身に問いかけてみたら、なんとなくYesって聞こえた気がした。
◆
千秋楽まであと少し、という時期のチケットが手に入った。
私は一度目の衝撃を思い出しながら、覚悟して劇場に入っていく。
幕が開くと、ところどころアドリブが変わっている。
っていうか、かなり変わっている。
時にはものすごい客席にウケているのだ。
となりのご婦人なんて口を押えてプウって吹き出した。
私はいままで宝塚で感じたことが無い衝撃を覚えた。
男役たるものかっこよくあるべし、と思っていたのに、
この人はウケることに全集中している。
ネットでの酷評はあまりにもひどかった。
主演の椿を憐れむ声や、演出家の先生を危惧する声、
生徒さんたちはがんばっている、という謎の応援。
そんな中、毎日こんな熱心にアドリブを変えて彼女は挑んでいる。
すがすがしいほどの弾けっぷりに、私は感心を超えて興味が湧いてきてしまった。
「この人のこと、もっと知りたい」
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