何故、僕は何処に行っても居場所がないんだろう?
また、思い出したのでここに書き溜めて置きたいと思います
5歳で施設を出てから、21歳の冬ぐらいまで自分の居場所と心を落ち着ける場所が何となくなかった。
幼少期から常に、三人兄弟のお兄ちゃんだからって家では押さえつけられて、有る事無い事僕が我慢をする事がすごく多く、さらに親戚の家に行けばお前の親なんなんだと愚痴を沢山聞いてきた気がします。
特に印象的で辛かったのが母方の祖父や祖父母からは「今月親には〇〇万円渡したんだよ」とか「お前らには〇〇を買ってあげてるのになんで感謝もないんだ」や挙げ句の果てには「うちの物が無くなってるお前らの親のせいだろう」と言われ僕たちは、徐々にバツが悪くなり親戚の家と言う空間も精神的に失いました。
家に帰ればまた、電気が止まっただのなんだので今月はこれ我慢しての連続。
僕は社会的にも精神的にも追い詰められていった。
もう、自分がしくじったらきっと誰も助けてくれない、後ろ盾のない不安感の学生時代を過ごしいた為、周りからはプライドの高いやつとかイキってるやつに見えたと思う。
こんな経験をしてからなのか、自分が生きていく為なのか、人を観察する能力は無意識につき、雰囲気や細かい動きなどで過剰に感じとり気を遣ってしまいうまく人と関われない場合が多い気がする。
多分、世の中にはこんな感じで自分を抑え付けながら生活せざるおえない若者がわんさかいるのも、自分の周り見てれば自ずと感じる物があります。
自分はいろんな所で沢山の温かい人と出会い少しずつ自分という物を大切にしていいんだということそして、大切にする方法も得ることが出来た。
これを現状に苦しむ機会を自分で作ることの出来ない若者の為にどうにか環境を作りたい。
けど自分もまだ、色々なトラウマと向き合ってる途中だから色々不安でしか正直ない。それでも止まってる暇もない気がして何がどうしよう無い使命感に心を動かされ今日も手探りで進んでます。
どうかこの記事が、今を苦しみ何に苦しんでるか分からないぐらい辛い若者に届きます様に。
そして、不登校やいじめ、虐待を支援したい人にも是非当事者の意見として見てほしいです。
僕が出来る事は当時辛かった事をどうにか形にして伝えていく事だと思うので。