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【愛】とは何か?と問われたら

2ヶ月ほど前に【いいもの会議】という面白そうなタイトルに惹かれて、とあるコミュニティに参加させていただいたことがありました。

それぞれがもっている【いいもの】を紹介し合う会。
異業種交流会みたいなものかな?と思ったけど、そのオープニングがすごく深かったのです。

その会の発案者、ナビゲーター的なお立場の方の進行でその会は始まりました。

「『愛』とは何だと思いますか?」

10人ほどの参加者が、順番に答えていきます。

やさしくすること
与えること
思いやり
許すこと
見返りを求めないこと

…皆さんそれぞれが思う『愛』とは?を一言で表現します。

ナビゲーターさんはそのたびに

「じゃあ、やさしくない人をみたとき、愛がないなぁと思いますか?」

と問いかけるとやはり「はい」という答えがでます。

同じように、思いやりがない人、与えない人、許さない人、見返りを求める人…そのような人には愛がないなと思いますか?と問われます。
ナビゲーターさんは続けます。

やさしくないと思うことをされたと感じたとして、その行動がもしかしたら、その人の思う「やさしさ」だとしたら?
もしくは、自分にはわからないその人なりの事情があるのかもしれない。

物事はどちらか一方の視点からみて判断してはいけないということ。
自分にとっては「これがやさしさだ」と思うことでも、相手からしたら違う場合がある。ということを伝えたかったのだと思います。

ジャッジをせず、物事をフラットに、中庸な立場でみましょうということ。

その【いいもの会議】を進めるにあたって前提としてほしい大事なことを、冒頭で伝えたかったのでは?と思いました。

色んな人が持ち寄る、『いいもの』がたくさん集まる場所。
誰かにとって『いいもの』でも、また誰かにとっては『いいものではない』かもしれない。

それを『いいもの』だと信じている人にとっては、『いいものではない』と思う人のことは、極端にいうと敵に思えるかもしれないですね。

ジャッジをせず、否定せず、そこにあるありのままをただ認めて、聞く耳を持ちましょう。

それができないと、「良い」「悪い」という各々の概念がぶつかり、「よくない会議」になってしまう…

いいと思うことはそれぞれ違うんだよ、ということを前提として、その会を進めましょうということを伝えたいがために、「愛とはなにか」をテーマとしたオープニングがあったのではないかな?と勝手に解釈しました。

他の参加者さんにとってどんな解釈になったかはわかりませんが
私はひとり、おおー!なんて深いんだ!と感動していて、それを誰ともシェアできないままでいたので、ココに書いてみようと思いました(^^)

人と人が揉めること、もっと先へ行った場合の戦争などが起こる原因は、「自分が正しい」「自分の信じているものだけが正しい」という思考からくるもの。

そこには、良い、悪いのジャッジが発生します。

でもその判断基準て、自分の物差しでしかないのですよね。

自分が『愛』だと思っていることが、他の人からみたら『愛ではない』ことはあるのだということを理解すること、片方の側面からだけみて物事を判断することが危険であると知っておくことが大事なのだと、改めて感じさせられる機会になりました。





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