桜嵐記をこれから見る方へ
2022年2月11日に、BSプレミアムで宝塚歌劇 月組公演『桜嵐記/Dream Chaser』が放送されます。
深いテーマ性を持った文芸的な名作を数多く執筆される脚本家・上田久美子先生が、当時の月組トップコンビ、珠城りょうさんと美園さくらさんの退団公演として書き下ろした『桜嵐記』は、宝塚歌劇の歴史、そして演劇の歴史に残る大傑作!だと思います。
だからこの貴重な機会に、お一人でも多くの方にご覧になって頂きたい!あなたの人生の90分を、ぜひこの作品に頂戴したい!!!
そんな思いを込めて、そして初見の方の楽しみを奪わぬよう、極力ネタバレを避けて書きましたので、お読み頂けましたら嬉しいです。
あまりの美しさとあふれ出る物語性に、胸がぎゅっと締め付けられる本作の公演ポスター。
鮮烈に生きる人々
物語の舞台は南北朝時代の日本。
国が武家の北朝と公家の南朝とに分かれ、内戦が続いていた時代です。
主人公は南朝に与する武士・楠木正行(珠城りょうさん)。偉大な父・楠木正成(輝月ゆうまさん)の使命を継ぎ、若くして北朝との戦いを率いる武士としての生き様と、一青年としての悩みや葛藤・恋を描いた作品です。
舞台は今よりも死が身近にあった動乱の時代。だからこそ、そこに生きる人たち一人一人の命が煌めき、燃えるさまが鮮烈に伝わってくる。
それは現代を生きるわたしたちにとっては日常で感じることが中々難しいものであり、「物語」だからこそ出会える「生」のかたちであると思います。
物語世界への旅で出会う人々の鮮烈な生き様によって、自分という枠の外にある生き方や考え方、自分の人生よりも長くて大きな流れ、そのような壮大な何かに目を向けることが出来る作品が『桜嵐記』なのです。
とにかく全てが美しい
わたしにとって、宝塚の最も素晴らしいことのひとつが「どのような内容の作品であっても、美が担保されている」という点です。
明るく楽しいコメディでも、壮大な歴史物でも、綺麗事ではない世界の厳しさやままならなさを描いた悲劇でも、必ず「美しさ」と「品格」をもって描くのが宝塚。
本作はその中でも「日本物」の要素を色濃く持った作品で、日本の伝統美を存分に味わうことが出来ます。
ウェス・アンダーソン監督の映画作品を見ると「どこで止めても作り込まれた美しさ」が徹底された画作りに畏怖の念を覚えますが、本作もまた、あらゆる場面でそれぞれの美しさがビシッと決まっています。
宝塚の美とは、目に見えるものを取り繕ったり悲劇を美化するということではなく、百年以上に渡って培われ、アップデートされ続けてきた様式美が可視化された、壮大な美しさなのです。
特に圧巻なのは、桜舞う吉野の儚くも麗らかな春と、血と埃舞う凄惨な戦場とがシームレスに描かれる場面。
この世で最もかけ離れた二つを、幕を下ろしての場面転換なく描くことが出来るのは、ひとえに「美しさ」がその繋ぎを可能にしているからではないでしょうか。
限りを知り、命を知る
「貰うた時と力を、お前たちは何に使う?」
偉大な武人・楠木正成が、本作の中で息子たちに残した言葉です。
主人公である正行は、時代の趨勢に取り残されつつある南朝に与して戦うことに疑問を抱く中で、考えることをやめずに踠きながら、この問いに対する答えを出していきます。
その答えが何であるのかは、ぜひ本編をご覧いただきたい!初めてこの場面を見たとき、わたしは自分の視界と心が、今いる場所と時間を超えて遥か遠くに広がっていくような感覚を覚えました。
そしてこの物語では、正行と南朝の姫君・弁内侍(美園さくらさん)との恋も描かれています。
武士である正行は、自らの恋心を自覚し、弁内侍の思いに気づきながらも、いずれ死ぬ身であるからと、彼女の思いを受け入れる選択が出来ずにいます。
正行の葛藤を理解した上で、弁内侍が彼にかけた渾身の言葉…その場面を思い出すだけでわたしは未だに怒涛の感情に襲われ、胸が詰まり涙が流れます。
正行の生き様を、戦いと恋の二つの側面から描いた本作で描かれているのは、つまりは「いつか死ぬのになぜ生きる?」という問い。
誰でもいつかはその生を終える、でも少なくとも「今」この瞬間、わたしたちは生の世界にいるのです。
常に死が近くにあった正行と弁内侍だからこそ、恋を通して「今」に全てがあることを理解したとき、時と命の儚いからこその尊さを、誰よりも深く真摯に知るのかもしれません。
その大きなテーマは、あらゆる芸術の中でも、幕が上がっている「今」という時間に全てがフォーカスされ、終われば二度と同じものは戻ってこない「舞台」という手段で描かれることで、より真に迫った説得力を増しているのではないか、と感じています。
志の継承・現実とのリンク
冒頭でお伝えした通り、本作は月組トップコンビの退団公演でした。
自らに課された天命とも呼ぶべき大きな使命を、長い歴史の流れの中で果たしぬき、志を繋ぐ人たちにその使命を受け継ぎ、去っていく。
正行さんのそのような生き様を、彼を演じる珠城りょうさんの、タカラジェンヌとして、そして100年以上に渡る宝塚歌劇の歴史が繋いできた月組トップスターとしての在り方と重ねてしまうのは、恐らくわたしだけではない筈です。
宝塚の作品というのは、座付の演出家先生が脚本を執筆されており、基本的には「トップスターさんへのあてがき」だと言えます。
珠城さんとご縁の深い演出家の上田久美子先生が、このような素晴らしい作品を、高潔な人物像を、本作をもって宝塚をご卒業される珠城さんが演じるために書いて下さった。
それだけでも胸がいっぱいになりますが、本作が退団公演であるからこその「継承」の場面が物語で描かれていることに、非常に大きな心尽くしを感じます。
珠城さん演じる正行が、その生涯を掛けて戦う先に目指すものは、南朝と北朝の和解により国が争いをやめ、そこに暮らす民が安寧に生きられる世界でした。
幼い頃より父・正成の背中を見て、その使命を受け継ぎ戦ってきた正行ですが、その命を費やして自らが出来ることをやり遂げると、弟の正儀(月城かなとさん)にその志を託します。
自分一人の人生の時間よりもずっと長く、歴史や人々の営みは続いている。自らの時と力で何かを成したその先、後事を託せる誰かに使命を継承することで、人の志は続いていくのだということが分かります。
宝塚世界の当て書きという文脈から見ると、公演当時トップさんだった珠城さんから、次期トップ月城さんにバトンが渡され、継承されるという現実と重ね合わせて見ることができる場面です。
そのような文脈を知らずに見ても勿論素晴らしい場面ですが、そのオーバーラップを感じることで、より深い余韻が心に残るのではないかと思います。
また、冒頭に登場するこの物語の語り部が誰であったかが最後に明かされるのですが、その謎が解け、彼らの生涯が明かされた時の万感の思いもまた、忘れがたいほどの感動としてわたしの中に深く刻まれています。
ちなみに…(賞の話も野暮ですが)
本作は第25回鶴屋南北戯曲賞にノミネートされました。
鶴屋南北戯曲賞は、戯曲界の直木賞的な位置付けとされる、非常に名誉ある賞。
宝塚歌劇のオリジナル舞台作品がノミネートされ、高い評価を受けたことがとても喜ばしく、嬉しいことだなあと心から思います!
ぜひ見て下さい!!!!!
ああこの機会に、たくさんの方にこの素晴らしい作品をご覧頂きたい…そんな熱い思いから、出会いの一助になればと思い、この文章を書きました。
桜嵐記を見て胸が苦しくなり、感動に心打ち震えた後は、同時に上演されたショー『Dream Chaser』をご覧になり、宝塚のショーの煌びやかな素晴らしさを存分に味わっていただければと思います。
Dream Chaserもまた、それだけで記事を一本書きたいほどの大名作。宝塚ファンとして、ひいては珠城りょうさんの大ファンとしてはあまりに思い入れがありすぎて、せっかく買ったブルーレイも、却っておいそれと再生できないような有様です。
宝塚歌劇 月組公演『桜嵐記/Dream Chaser』は2月11日にBSプレミアムで放送されますので、この文章を読み終わりましたらその手でぜひ録画を!!!そしてお時間のある時、ぜひご覧いただければと思います。
宝塚歌劇 月組公演
『桜嵐記/Dream Chaser』
2022年2月11日 24:45〜(2月12日 0:45〜)
NHK BSプレミアムにて放送