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過去世の追体験をしたかもしれない出来事①

2年前のある日。
娘のお友だちが6人遊びに来た。

17時前になり、
ばたばたと次から次にみんな外に出ていった。

誰が誰と一緒に出ていったか確認できず、
もうみんな出たと思っていた。

部屋にはもう誰もいない。

私も子どもたちを追って外へ。
そして近所のお母さんたちと立ち話。

すると、1人の子のお母さんからLINEが。

「うちの子、おうち出ましたか?」

ほとんどが近所に住んでいる子たちだったけど、
その子だけ、少し離れたところに住んでいた。

いつもなら、
今家を出ましたよ、の
連絡をするのだけど、
その日は人数も多くてばたばたしていて、
連絡できていなかった。

そして、その子が家を出た瞬間も見ていなかった。
みんなと一緒だ、と思って安心しきっていた。

もしかして、まだ部屋にいる?
娘の部屋のクローゼットを確認した。

よく、
子どもたちが隠れることのあるクローゼット。

そこにはもちろん、その子はいなかった。

でも、なぜか。

クローゼットを開けるまで、
こんな感情がやって来た。

ああ、ごめん、私のせいだ。
私が見つけてあげられなかったから。
早くに確認したらよかったのに。
そうしたら、「こんなこと」、にはならなかった。

強い後悔の感情。ごめんね、許して。という感情。

実際には何も起こっていないのに、
ものすごく強い感情が、
ものの数秒くらいの間押し寄せて、

そしてクローゼットに
誰もいないのを確認したとき、
我に返った。

そして、お母さんから連絡。

「今帰ってきました。」

すごく、怖かった。
ものすごく大きな後悔だった。

今起こっていないことなのに、
湧き上がった後悔や懺悔の気持ち。

その子とは出会ったときから、
目の奥にすごくよく知っている光があるように感じていて、
不思議な感じ、がしていた。
この光、私知っているかも。
そう思っていた。

私はたぶん、
過去世の追体験をしたのかもしれない。
その子との繋がりの体験なのかはわからないけど、
間違いなく、
かつて、
自分のせいで大切な光を失ってしまったのだと思う。

あの時の恐怖は
それから1週間ほど余韻が残った。
今でもありありと思い出せるほどの恐怖。

カトリック教会の告解室を見るたび、
胸が騒ぐのも、きっと、繋がっていると思う。

意図的にしろ、そうでないにしろ、
自分の手が子どもの光を消してしまったこと。
そして、悔いて悔いて悔いて、
生きた時代があったのだろうと思う。

もしかしたら、
自分の中のどこかが、
自分を許していないのかな、などとも思ったり。

子どもたちにたまたまこだわりなどがあり、
そして敏感なところも多いから、
いろんなことが
できるだけスムーズにいくように、
穏やかにすすんでいくように、と、
手伝っていることは毎日すごくあるのだけど、

もしかしたら、
私が許されたくて、
自分を許したくて、
全てを捧げるかのような育児になりがち、
なのかな、なんて、思ったり。

でも、全て私の妄想かもしれない。

たった数秒の間にみえた絶望と
泣き崩れている自分。

ただの私の作り話かもしれない。

真実はわからないけど、
でも私はきっともう安心していいと思っている。
たぶん、どちらにせよ、
十分に悔いてきた気がしている。

そろそろ、私を解放してあげられる、と思う。


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