宝石の国〜三族のモチーフは本当に仏教の三界なのか〜
宝石の国に登場する三族(月人・宝石・アドミラビリス)はそれぞれ仏教の世界観における三界をモチーフにしている説がある。
まず三界の基礎知識から。三界とはその名の通り、仏教における三つの世界のことを指す。
簡単に言うと、無色界は精神だけの世界、色界は物質(肉体)に縛られた世界、欲界は欲望に縛られた世界のこと。上に行くほど欲と物質(肉体)の縛りを離れていく。確かに物質の縛りの有無で言ったらピラミッドの分布は以下のようになるだろう。
月人は空を飛び、身体を霧散されることができるが宝石とアドミラビリスはそうはいかない。しかし、宝石は身体は脆くても修復は効く。いっぽうアドミラビリス(ウェントリコスス)は一度失った腕を元に戻すことはできない。
このように肉体的な縛りを超越した月人が三族の頂点に位置するのは分かるが、もう一つの条件、欲と煩悩の超越は果たして出来ているのだろうか。読んだ限り、月人は欲を超越できているとは思えない。むしろ三族の中で一番欲にまみれ、欲に悩まされている種族のように思える。
では、この三族のモチーフが仏教の三界ではないのなら、別の何を元にしているのだろう。
博物学の三界
宝石の国において仏教は言わずもがな重要な要素の一つであるが、博物学もそのうちの一つである。なぜなら、宝石の国はフォスが博物誌を編む仕事を与えられるところから始まるのだから。
さて、博物学にも三界と呼ばれるものがあるのはご存じだろうか。博物学における三界とは、植物界・鉱物界・動物界だ。驚くべきことに、この三界は宝石の国の三族とそれぞれ対応しているのだ。鉱物界と動物界はそれぞれ宝石とアドミラビリスを指すのは分かるが、月人が植物?
実は月人の名前はすべて植物に由来しているのだ。
エクメアはパイナップル科の植物Aechmeaから。バルバタ先生はキキョウ科のBarbata、クイエタさんは菌類のQuieta。そして我らがセミは"おそらく"semi-aquatic-plant(半水生植物)からきている。(もしくはSemiarundinaria(ナリヒラダケ))
欲望の頂点"他化自在天"
鉱物界と宝石、動物界とアドミラビリス、植物界と月人。月人のみ、モチーフとその姿が一致していないのが分かる。では月人の"見た目"のモチーフは何なのだろう。ここでまた登場するのが仏教である。
この図は六道(生き物が輪廻転生する六つの世界)がどの界に属しているのかを表している。注目してほしいのは、欲界に属する六欲天だ。六欲天とは天道の中でも人間道に近い下部六つの天のことで、天人(天道に住まう人間より優れた者)の中でもまだ欲を捨てきれていない者が属する場所である。そしてこの六欲天の第六の天であり、欲界の頂点に位置するのが他化自在天(たけじざいてん)である。全ての欲望を叶えられる場所で、天道の最下部だ。
この’’六’’という数字と’’最下部’’という言葉から、他化自在天は六つの月の最下層"クメラ地方"のモチーフになっているのではないかと推測した。
祈られず、取り残されたクメラの住民はやがて宝石たちの楽園を襲うようになる。月人と呼ばれた彼らが主に使用する武器は弓であるが、なんと他化自在天の天人も弓を持った姿で描かれているのだ。
したがって、月人の”見た目”のモチーフは他化自在天に住まう天人なのではないだろうか。
終わりに
一話から登場した博物学と物語を通して暗喩され続けている仏教。博物学と仏教という全く違う二つの要素が最終回に向け、どのように作用していくのか。宝石の国の最後をリアルタイムで見届けるのが今からもう楽しみで仕方がない。