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父方の菩提寺
グレゴリオ暦の正月と言うばかりでなく、新月を過ぎたばかりだし何か新しく始めるのはいいかもと思う。しかも、今回の新月は蝕だったからちょっと大きな変わり目。なので、noteを始めることにした。
昨日はふと思いついて一人で川崎大師へ。父の実家が近くにあったので子供のころここへは行った気もするが、記憶はあいまい。いずれにしても何十年かぶりである。JRの川崎駅から京急の大師線に乗り川崎大師で降りて歩いたのだが、道を間違えてしまい目的地を素通りして東門前駅まで行ってしまった。正月も七日とは言え歩いている人も少なからずいたのに、どうしてまちがえるかなぁ。。でも、東門前から戻る形になって、かえって正規の順路を通って行けた気もする。手水や線香の煙で身を清めて参拝した後、門前で住吉の葛餅をお土産に買った。
確か父の実家(本家)の菩提寺が沿線の駅近くにあったと思い、下車して訪ねてみた。
港町の駅から歩いて数分のところにある、医王寺と言うお寺。ここには行ったことがなかったのだが、場所はすぐわかった。近くの歩道橋の上から寺の全貌が見える。しかし、あいにく山門の外にある鉄の門が固く閉ざされていて、中に入ることはできなかった。
そういえば、亡くなった父に、大工をしていた祖父がここの山門を手掛けたと聞いたことがある。祖父は父が小学生のころ亡くなっているので、本当にもう昔々の話なのであるが、ちょっと確かめてみたいという気持ちもあったのだ。近づいて見ることはできなかったので、鉄の門の外から写真を撮った。
考えてみると、祖父や祖母、父方の先祖はみなここに眠っているはずである。しかし、父と実家とがなんだかそりが合わないというか、折り合いのつかないことになってしまって、わたしも墓参りをする機会などもなかったのである。
帰りにまた歩道橋の上から寺を見下ろして、わたしは父と実家との不和の理由などぼんやり思っていた。表面的な理由のほかに、隠された理由もあった気がする。隠されたというか、奥にある理由が。
不思議なのだけど、今になってそれが少し分かるような気がした。でも、今すぐ明るみに出す必要はない。今日はただ、曖昧に確認だけして帰るのがいいと思った。
なんとなく、歩道橋の上から手を合わせ、帰路についた。