みんなのwillを大切に生きる
メンバーが「なぜmiracoで活動するのか?」を語るリレーマガジン。今回は浮き沈みの激しい気まぐれ突撃ハンターまりこです!
それは奇跡
miracoへの参加にいたるまで、妊娠・出産・保活・仕事と育児の両立と、七転八倒があったわけですが、だからこそ今ここにいるのだと思うので、少し遡ってみたいと思います。
私は2年程の不妊治療を経て2015年3月に第1子を出産しました。
予備知識なく始めた不妊治療は、時間もお金も仕事との両立も、いくつものハードルを越えねばならず、それを越えても目標達成できない挫折感が月1回ループするという地味にダメージの大きいものでした。出張が入る時など、仕事をとるか治療をとるかという、いちいち意思決定が求められ、さすがに治療は誰かに頼めず仕事を諦めたりすることもしばしば。
若さも、貯金も、仕事へのモチベーションも、あらゆる自己肯定感が削られながら、ようやく妊娠できたのが治療開始して2年くらいたった後。結局何が悪かったのかもわからぬままでしたが、ある日突然どこからかやってきて、私を無限ループから救ってくれた愛しの我が子は、まさに奇跡!
色々な感情が溢れ出し、凍結された卵子の写真ですらも可愛さ、愛おしさで輝いて見えました。
現実で奇跡が霞む
出産予定日は2015年3月23日。
妊娠期間中に産・育休の手続きや、仕事の引き継ぎなど進めるなかで、もちろん「保活」というワードにもぶつかりました。なかでも、早生まれは保活に不利といったことを目にすると、3月生まれの我が家の赤ちゃん、そう、私の30年越の奇跡が、まるで保活レースのディスアドバンテージとレッテル貼りされているようで居心地の悪い気持ちを覚えました。そして、我が子に限らず、いつ生まれようが奇跡のような尊い生命に対して、合理性で価値づけする「保活レース」に疑問を持つようになったのでした。
その後、2015年3月に出産し、2016年4月からの1歳児クラスへの入園を目指し準備を始めました。
10園以上見学に行き、保育方針や保育園生活への期待を膨らませながら、どこの園の理念や保育プログラムがよいかと、狭き門とわかりつつも、愚直に考えていました。
秋には、欄外にはみ出しながら記載した第11希望までの園名と、保活マニュアル的なものにあった「保育園に通えないと無理です!」という切実さを綴った申請理由を記載した書類を提出。ですが、その怨念も届かず、不採択通知を受け取ったのでした。しかも既に仕事復帰の準備を進めている2月に。
それから4月までは、絶望感というよりも、予定通りに復職できなかったらどうしようという脅迫感のなか、認証保育園への連絡、保育ママの申込みなどに奔走し、どうにか認証保育園に入園。そして、1ヶ月も経たないうちに小規模保育園に空きが出たということで転園。
なんなんだ。
このありえなさ。
普通に社会人をやっていたら、この不条理に疑問を抱かないわけがありません。
需要があるのになぜ供給を増やさない?
需要の数値をなぜ把握しない?
なぜ早く結果を通知できない?
次から次へと疑問がわくなか、そもそもこの保育制度はどのような仕組みで、どうしてこんなに「使えない」のか気になり始めました。
will のキラキラとcannot の悲哀
保育所とは児童福祉法第39条第1項に、保育を必要とする乳児・幼児を日々保護者の下から通わせて保育を行うことを目的とする施設とあります。私が保活をしていた2014年にこの文言が法改正によって変更になりましたが、それまでは保育に欠ける乳児・幼児という文言でした。
え?保育に欠ける?
先述の通り、奇跡奇跡と脳内花畑状態の私は、この子のためにエンヤコラという気持ちで、どこの保育園がこの子にあっているかな♡
と希望順位までつけちゃっていた(どこも入れないのに)わけで、まさかまさかの愛娘が保育に欠ける乳児ちゃんと表記されていることに衝撃を受けました。
そして、思い起こせば入園申請書類にある申請事由の項目では、いかに共働きをしないとやっていけないか、保育園に預けないと生活が立ち行かないといったことをマニュアル通りに書き綴ったわけですが、どうも気持ちが削がれる作業だったわけです。
なぜって、「保育園に預けないと立ち行かない」ということよりも、「私の赤ちゃんにはこの保育園に通わせたいの♡」というwillの気持ちが溢れていたからです。
共働きしないとやっていけないから
かつて、このようなネガティブな理由で、書類を書くことがあったでしょうか。
学生時代の受験では、「この学校に入りたい」「学校で学んでこうなりたい」。
就職活動では「この会社に就職したい」「この会社でこのようなことを実現したい」と、前のめりな気持ちをぶつけては玉砕していたではないですか。
それなのに、保育園申請といういたってシンプルな行政サービスの手続きのはずが、愛しい我が子を入園させたいというキラキラしたwillの気持ちもぶつけることができないうえに、共働きでないと生活ができないcannotの悲壮感をでっち上げ、さらに玉砕するという謎の儀式に、身悶える違和感を覚えていました。
違和感をアクションに
4月から仕事復帰し、仕事と家庭の両立をヨロヨロとこなしながらも、この違和感を拭えずにいた時、地元の保活情報コミュニティでmiracoの前身「希望するみんなが保育園に入れる社会を目指す会」の院内集会のことを知りました。
『みんな#保育園に入りたい』〜子育て・キャリア・待機児童…このモヤモヤを解決しよう~
と題したこのイベントは、ゲストスピーカー、メンバーによるパネルディスカッションと、参加者同士で考えるワークショップで構成され、当時持っていた違和感、まさに「モヤモヤ」を共有できる場でした。仕事でも社会でも、cannotの自己開示を求められ、自己肯定感ダダ下がりの精神状態で参加したイベントは、制度の限界や課題がロジカルに整理され、私たちができること、したいこと、まさにwill が存分に語られる場でした。
当時「保育園落ちた日本死ね!!!」というワードがブームになるほどの待機児童が深刻な時でしたが、その状況を「保育園に入りたい」というポジティブに単語変換し活動する姿はまさに”cannot”を”will”に変換するアクションでした。
私の違和感を言語化し、仲間同士で起こすムーブメントに、大きな刺激を受けた私は、気づいたら、その場で当時のメンバーの方ににじり寄り、この会に参加したい!と直談判していたのでした。
その後、miracoの活動を通じて、数々のミーティングやプロジェクトで、多くの人たちとwillを共有する機会をもってきました。
たった1回限りの人生。
自分のwillを大切にしたい。
みんなのwillを尊びたい。
子ども達のwillが叶えられる社会にしたい。
そんな想いをアクションに変える場が、miracoです。
それぞれのcannot(できないこと)を、解決し、支え合うことが行政やコミュニティのミッションかもしれません。でも私たち一人一人は、もっと大らかに、cannotな自分を嘆くのではなく、なりたい自分、ありたい社会を目指し、will を大切に生きていくことができるのではないでしょうか。
様々な課題が次から次へと出てくるなか、その時の違和感や価値観の違いを話し合い、みんなのwillを大事にするための方法を一緒に考えられる、そんなふうに活動を続けていけたらなと思っています。
(文責:まりこ)
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