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母と看護師、私のライフワークバランス
この仕事をしていると、どうしても仕事を休めないことがあります。
✩母としての私
✩看護師としての私
✩私自身のための私
欲張りな私は、どれも諦めたくない
『体が3つあったらいいのにー』
と、本気で日々思います。
そんな私の、【ライフワークバランスのとり方】
誰かの、何かの参考になれれば幸いです
・母としての私
私は、看護師である前に、母である。
看護師は代わりがいるけるど、母には代わりなんていない。娘たちの母親は私しかいない。
かといって、仕事は仕事。
給料として、お金をいただいているからには、いい加減な仕事はできない。
もらっている給料に見合うだけの仕事はきちんとしたい。
でも、そう思っている時に限って子どもは熱を出す。
『今日は人手が少なくて忙しいなぁ…』と思っているときに限って。
子どもたちの体調管理には気をつけているはず。
看護師なので。
それでも、集団生活をしているし、生身の人間だし、小さい体で友達との関係や、小さい社会を日々学んでいるわけで、子どもたちだって大人と同じように毎日頑張っている。
そりゃあ体調を崩すこともあるよね…
頭ではわかっているけれど、仕事仲間にも申し訳なくて、休むと言いづらい…
でも、結局私が休む以外の選択肢はなくて、仕事は休ませていただく。
病児保育に預ける、という手もあるのですが
看護師なのに、自分の娘の看護を他人に任せて、母は他人の看護をするって、おかしくない!?
と、全力で思うのです。
『他人の看護の前に、自分の子の看護でしょ!』
この境地に辿り着いたときには、とても清々しいまでに開き直りました。
何のために看護師になったんだ??
家族や身近な人が病気になったときに、役立てるように看護師になったんでしょ!?
まずはきちんと、身近な人を大切にすることからやらないと!本末転倒!!
そう自問自答を繰り返し、職場に連絡するのです
・看護師としての私
看護師になった目的を、自問自答しながら奮い立たせて職場に連絡しても、
「今日は人がいないから無理なんだけど。じゃあわかりました。」
と言われると、
『んもー、私だって言いたくて連絡してるわけじゃないから!!仕方ないじゃん!!アナタだって病気になるでしょ!?』
と、思いながら凹みます。
本当は…、本当は私も帰宅時間も何も気にせず、しっかり一人前として働きたい。
仕事が嫌いな訳じゃない。
出張だろうが研修だろうが、どこへでも自己研鑽のために飛び回って、いろいろな診療科も経験してみたい。
でもね、
それをすることで、子どもたちが寂しい思いをするのなら、そこまでする価値があるのか?
とも思う。
子どもが傷付いて帰ってきたとき、早く話したい嬉しいことがあったとき、モヤモヤを抱えて帰ってきたとき、
そんなときに、
「どうしたの?」と声をかけて、ぎゅーっと抱きしめてあげたい。
だって、そうできる時間は限られているから。
子どもは、あっという間に大きくなる。
人生100年として考えると、子供時代がどれだけ短いか。
親を必要としている時間は、たったの十数年しかない。あとは、自分で生きていくために、その短い時間でたくさんのことを教えてあげないといけない。
仕事で小児を看ていると、
自分の子と重ねてしまう。
小児の親は、自分と重ねてしまう。
『もし、自分の子どもが医療的ケア児だったら』
『もし、自分が医療的ケア児の親だったら』
『もし、自分が医療的ケア児だったら』…
「感情移入しすぎは良くない」
そういう意見があるのも事実ですが、
感情移入しないで、自分が経験したことがないことをしている人の気持ちを理解することはできるのだろうか。
私は看護師として、
相手が何を思って、どうしてほしいのか、どうなりたいと望んでいるのか、しっかり知りたい。
一人ひとり違う要望を、正しく受け止めて、希望する方向に近づけるようにお手伝いがしたい。
看護師は、注射や検査、医師の診療の補助だけではないんです。
看護師とは
『専門的な知識と技術を用いて、病気や不自由がありながらも、少しでも円滑に生活が送れるように支援する人』
と、私は思っています。
生活を支えるために、知識と技術を磨いて提供する仕事なのです。
病気を治すのが医師の仕事
日常生活を支えるのが看護師の仕事
そんなことを考えながら、毎日仕事をしています。
・私自身のための私
私は欲張りなので、やりたいことがたくさんあります。
『世界中を観てみたい!』
国内でも、まだ行ったことがない場所もあり、国内外、いろいろな景色や文化、人に触れてみたい。
いろいろな価値観や考え方を知ることは楽しい✩
ですが、残念なことに英語が苦手…
『英語なんてできなくても困らないし!』
と言い訳していた学生時代の自分を殴ってやりたい。
なので、今になって毎日コツコツ英語の勉強を続けています。やらないよりはマシ。
ご飯が炊けるまでの残り5分
洗濯機が終わるまでの10分
スキマ産業のごとく、スキマ時間に少しでもやる。
そして、いつか
トム・クルーズと話がしたい(笑)
ヒュー・ジャックマンにも会いたい(笑)
ザック・エフロンにも会いたい(笑)
夢と希望は大きく(笑)
『仕事をバリバリやりたい!』
終電まで仕事だ〜!とか少し憧れる。
仕事で夜遅くなってから同僚と飲みに行く…
21時には街が寝静まるような田舎にいると、ちょっと憧れすら感じます。
(21時じゃ空いてるお店がないので…)
『どっぷり母親をやりたい!』
家をピカピカにして、手の凝った料理を並べて、
心穏やかに、手作りのおやつで子どもの帰りを待つ。一緒にお風呂に入って、布団に入って読み聞かせをしたり、ゆっくり話をして、自分のメンテナンスもじっくり体と向き合う…
現実は、
仕事から帰ると
そのまま夕飯作りながら宿題をみながら洗濯物片付けながら洗濯機を一回まわしながら子どもの話を聞いたあと、
夕食をとって洗い物して習い事の準備をさせながら洗濯物を干して習い事の送り迎えをしてお風呂掃除して帰ってきた夫の夕飯準備して片付けて次の日の朝ご飯の準備して学校のプリントを確認して…
休みの日には、
平日にできない家の掃除をして水回りの掃除をしてペットのお世話をして大物の洗濯をして子どもと遊んで食材の買い出しをして…
ハァ…ハァ…ハァ…
書いているだけで息切れします
1日は本当に24時間あるのか?足りなくない??
と思うこともしばしば。
結局どれも、中途半端な気がして。
全部、嫌ではないんです。
嫌々やっているわけではない。
でも、 バランスが難しい という話なのです。
・結論
絶対的な最優先事項は何なのか
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