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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話〈その3②〉

こんばんは
皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。

前回は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話〈その3①〉小学校高学年までをお話しました。アトピー、喘息と共に歩んできた私の人生の今回は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話〈その3②〉中学時代です。

中学時代

中学時代には、それまで絶対だと思っていた先生たちの本当のところが見えた事件が起きた。

私には、「泊まりの学校行事はなるべく遠慮してもらいたい」みたいな学校側の事情があったらしい。
ただ心ある先生が頑張ってくださって私の参加は実現していた様だ。

林間学校で事件は起きた。

キャンプファイアーを欠席したまでは良かったが、2階の見学組の部屋から階下のキャンプファイアーを覗いていたので立ち昇る煙をモロに吸い込み、その晩は案の定発作が起きた。

わたし的にはなんとかなる程度の発作だったが、普段生徒から比較的人気のあった保健の女性教諭が、私に聞こえよがしにネチネチと嫌味を言い出した。

喘息持ちの子の親なのに、しかも看護士だっていうのに(母のこと)、ろくな薬も持たせないでよこすなんて常識がない、、みたいな事を担任に訴えていた。
母は母なりに主治医の先生と相談して、適切な治療薬を持たせてくれていた。知識がないのはその保健の先生の方だ。

この先生は元気で手のかからない生徒には優しいフリをするが、ちょっと手のかかる私の様な子は面倒くさいんだな……。
私の泊まりの行事に反対していた教師というのはこの人かも……。

その事で得た私の結論。先生と言えどもその言い分に盲目的に従う必要はない。もしかしたら偉いのは生徒の方だったりする。

結局担任の男の先生がその保健の先生の愚痴を聞きながら「お前大丈夫か?辛いのか?」と私の背中をさすってくれていた。先生、ありがとう。

もう一つ先生エピソード。

中2の時、クラスの席替えで先生の真ん前の席になったのだが、1週間経って学校に行くと私の席が一番後ろの端の席になっていた。ラッキーと喜んでいたが、それは専科の先生からの抗議でそうなったらしい。

「目の前の席の生徒が四六時中顔やら首を掻いて落ち着かないので、その生徒を自分の視野から外して欲しい」
ということだったらしい。

まぁ世の中そんなもんだよ。

当時の自分はなんだかそんな気分だった。先生と言えども人間、色んな人がいるってだけ。

信じられるのは自分しかいない。

だから決して自分を可哀想と思わずに、「一生懸命生きたあなたにふさわしい幸せが待っているよ」と伝えたい。

心のセーフティネットがあればどんな状況でもなんとかなる。

そしてその過酷な状況もいずれ自然と消滅してしまう。
ここまで読んでくださってありがとうございます。

写真は手作りお節料理
お節料理のほとんどはアレルギーで食べられなかった( ;  ; )
今は何でも、いくらでも食べられる

明日は明日の日が昇る、きっと良い日が待っている


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