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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その1>
こんばんは
皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。
「元気でいること」から程遠かった、生まれながらにしてアレルギーまみれの私が、アレルギーを克服するまでの学びの体験談を綴っていこうと思います。
出世時
生後2週間でアトピー発症。当時は(約60年前)アトピーなどと言う言葉すらなく、重度の乳児湿疹という診断だったそう。
「アトピー」とは、「不可解な、奇怪な」という意味らしい。
生まれながらにして治療方法がない病気にかかってしまう。「湿疹、皮膚トラブル」と「アトピー性皮膚炎」との決定的な違いは「しつこいかゆみ」
一節によると「蚊に刺される痒みの数千倍」と言われているそうだが、かえって分かりにくくない?とにかく「凄まじいかゆみ」を伴うのがアトピー性皮膚炎です
母の回想
「あら〜赤ちゃんどれどれお顔を見せて」と気の良いおばちゃん達があなたの顔を覗き込もうとするが、その瞬間「あら」と絶句するのが辛かった。
顔は掻きむしって真っ赤に腫れ、汁が出てベタベタ。とても可愛らしい赤ちゃんとは程遠かったから。毎日が心配と不安に包まれていた。
父の回想
掻きむしるのを防ぐためにひじの内側にハガキをかませて顔に手が行かないようにしていた。掻きたいのに掻けないもどかしさで泣き続ける姿を
見るのが本当に可愛そうで辛かった。
夏でも手袋を付けていた。うっとうしかったと思う。可哀想だが仕方なかった。
父母にとって私は初めての子どもで、両方の祖父母にとっても初孫だった。
初めての子どもがアトピーで、しかも女の子。どんなにか心配だったと思う
娘も孫も持てた今の私は、両親のその当時の辛さが身に沁みて分かる。
両親、祖父母に感謝しかない
診断もつかず、しっかりとした治療法もないまま病気と向き合うのはとてもツライ。逆に病名がついた時点である程度は安心できるのではないかなぁ。
治療法も自ずと出てくると思うから。
ヴィクトール・フランクルが「夜と霧」の中で
こんな風な意味のことを言っているのを思い出した。
「人間は絶望した時に死に向かう。希望さえ有れば生きていける」
父母と私は、わずかな希望だけを頼みに生きるスタートラインに立った。
幸い私の両親は前向きだった。だから私はこの両親の元に生まれたのかもしれない。子育ても大変だったと思う。私はアトピー、喘息以外のことは全て
恵まれてきたなぁと思ってきた。でもアトピーも喘息も私にはラッキーな体験だったと今は思える様になった。
それでも当時は地獄でした。特に小学校時代は、、、さまざまなイジメや、理不尽な扱いを受けもしたけれど、、、
反対に応援してくれたり、辛さに寄り添ってくれる人も現れて心から嬉しい思いもした。生まれながらにして健康面でハンデを負ってきた私には、健康でいることの価値が身をもって分かる。
痒さや痛みのない毎日が欲しかった。喘息発作への不安と恐怖。息がスムーズにできる体が欲しかった。普通の人には理解できようもないが、
「元気でいる」というだけで充分幸せ。大成功なんだと思う
ここまで読んでくださってありがとうございました。
「元気でいること」から程遠かった、生まれながらにしてアレルギーまみれの私が、アレルギーを克服するまでの学びの体験談を綴っていこうと思います。
夜明け前が一番暗い 必ず日は登る