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アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その9>

こんばんは。
皆さん、お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様で今とても元気です。

興味を持って読んでくださってありがとうございます。今日は、アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その9>をお届けします。

これを書くのに自分の人生を振り返っているうちに、次から次へと記憶が蘇ってきております。

自分の中では済んだ話、もう過去の事と気にもしていなかったはずなのに、本当は悲しく、辛く、悔しく、腹立たしい事もたくさんあったんだなと自分の中のもう一人の自分に向き合える貴重な時間になっています。
ありがたい事です。

【アトピーや喘息で不都合だった事 追加版】

⚫︎夏の半袖服は持ってない
中学に行って制服になって、夏の半袖服は買わなかった記憶が。アトピーは、比較的柔らかいところの皮膚に強烈な痒みが起きるので、ヒジの内側、耳の周辺、首筋、脇の下と前側の皮膚が重なる所、ヒザの内側、足の付け根のソケイ部の所などを掻きむしって皮膚が肥厚し、更に悪いことに色素沈着してくる。

なので半袖服は恥ずかしくて着られなかった。

ある時何かで病院にかかり、私のヒジの内側を見たお医者さんが、「この腕はシャブ(覚醒剤)をやっている人間の腕だよ」と言って笑ったけど、私には笑い事じゃなかったんだな。だって記憶しているって事は少なからずショックだったからだと思うから。

⚫︎そういう訳で水着は着たくない
胸が貧乳だとか、足が太いとかの理由で水着を嫌がる人は多いけど、私の場合はそれもあったけど、何より色素沈着した肌を見られるのが嫌だった。

⚫︎遠足は毎回スリリング
「遠足」という位だから歩く訳で、長時間歩くと大抵息苦しくなる。私が行った小中学校は箱根に遠足に行く事が多くて、山道を延々歩くので必ず喘息が出た。たまに珍しく喘息が出なくて体力が余っていた時など、校庭で友達とはしゃいでいて結果喘息になるというシャレにならない事もあった。

子ども心に、はしゃいだり、ふざけたり、調子に乗ると痛い目に合うという認識になった。だからいつも冷静で、落ち着いていて、しっかりしているというイメージになったと思う。根は何も考えていないおちゃらけ人間。

⚫︎肌荒れの上を行く
中学の頃、友達がニキビができて悩んでいると話していて羨ましかった。私はニキビが目立たないほど肌が荒れていた。「肌荒れ」なんてレベルではなく、病院に行けば「患部」と呼ばれた。リンデロンというステロイドの塗り薬を塗って何とかなっていた。ステロイドさまさま。

⚫︎サプリの粒が大きくて飲めないという人がとても羨ましい
私は小学校低学年の時からオブラートに包まなくても顆粒の薬は飲めたし、粒の薬も一度に15錠くらい飲める(自慢げだが、自慢にならないよ)

⚫︎何なら注射も平気
喘息発作の時に最後の手段で静脈注射をする事が何度かあったが、直径3cmくらいありそうな注射器を持ち出してきて、先生が自ら長い時間をかけて注射してくださる。その時たいていの喘息患者は、どんな子どもでも早く注射してくれと言わんばかりにサッと腕を出す。

苦しくて、辛くて、大きな注射器が自分を救ってくれる味方に思えた。たぶんお医者さんも看護師さんも見ていて辛かったんじゃないかな。注射が終わると決まって褒められた。なんで褒められるのか当時は分からなかった。

お医者さんが「やっぱり(薬を入れるのが)ちょっと速かったかな」とすまなそうにされるのが不思議だった。私は注射してもらって楽になれて大感謝なのに。

静脈注射はどれほどゆっくり入れても突発的に吐いてしまう。お医者さんや看護師さんは私の吐瀉物を片付けながら「よく頑張ったね」と褒めてくれた。だから私は病院の先生や看護師さん達には頭が上がらない。

今はコロナでますます頭が上がらない。ありがたい気持ちでいっぱいです。あの静脈注射にはどんな薬が入っていたのか?たぶん気道を広げる薬じゃないかな。その注射で全身の管という管が一気に開いてしまうからもちろん血管も開いてしまう訳で、心臓に負荷がかかるのでそうそう頻繁にできない。

今でもその治療法はあるのだろうか?

その後は46歳まで気管支拡張剤のお世話になる。それも一日4回までという使用制限があった。一日5回以上使うと死ぬよと何度も言われたが、内心そこまではないんじゃないかと思っていた。

だが、中学生くらいの時だったかな、テレビで気管支拡張剤の使用回数をオーバーして使用した小学生が死亡したというニュースを見た。薬の画像も映っていて、それは私が使っている物と同じ、グラクソのサルタノールという薬だった。その時初めて、本当に使用制限を守らないと死ぬんだと知った

⚫︎花粉症もしっかりあった
ついついアトピーと喘息のインパクトが強すぎて花粉症の事には全く触れていなかったが、当然花粉症はあった。

一般的には花粉症はスギ花粉症のことを言う様だが、花粉症ということは当然のことながら全ての植物に当てはまる訳で、私の場合スギはもちろんの事、悪いことにイネ科の植物にアレルギー反応が出て、ということはつまり一年中なんらかの花粉症をやっているという事になる。

私の場合最も嫌な時期は実は5月以降。2月の今くらいからスギ花粉症が始まり、5月の木の芽時がピークになる。新緑を愛でている場合ではない。

芝桜の花粉にやられた事もあった。7月からはイネ科の花粉。9月になって実りの時期になると花粉からは解放されるが、今度は台風などの気圧の変化で喘息シーズンとなる。これは冬いっぱい続く

⚫︎化粧を落とした後
年頃になるとお化粧に興味を持ち始めた。私の顔は化粧映えしすぎるので、化粧をすると大変身できる。違う自分になれる。それでせっせと化粧していた。でもアトピーが良くなっていた訳ではないので、その裏には壮絶な戦いがあった。

まず口紅を付けると決まってぷくぅ〜っと蚊に刺されたような腫れが何ヶ所かに現れる。どんなメーカーのでも同じ。その痒みをグッとこらえて口紅をしていた。他の基礎化粧品も発疹や腫れなど少なからずある。それがいつもの事だった。

普通の人が皮膚科に通う様ないわゆる化粧品かぶれの状況は、私にとってはいつもの事だった。では私が皮膚科に通うほどの化粧品かぶれというのはどういうのかと言うと、付けた途端に痒みと腫れが起きて、まぶたと目が腫れ上がって目が開かなくなりお岩さんの様な顔になって初めて「化粧品かぶれ」になる。

だから私はいつも言っていた「どの化粧品会社のでも大丈夫」と。

とにかくみんなとは基準が違いすぎて、いちいち説明するのが面倒くさかったから。私の皮膚は全く化粧をするに値しないレベルだったのに、美しくなりたい一心で、化粧をしている時は精神力でアトピーを抑え込んでいた。

だが抑え込んだ症状は化粧を落とした時に大爆発する。とにかく顔のありとあらゆる所を掻きむしる。やっと掻ける解放感の爆発はどうしようもなかった。さすがの母にも「100年の恋もいっぺんに冷めるワ」と言わしめた。

そういう訳で「結婚は諦めた方がいいよ」という結論に至ったと思う。外で見せている自分と病気と戦っている自分が全く別人だった。

⚫︎喘息も同じ
喘息が出ていない時と、発作になった時は全く別人になる。そういうところからくる誤解もたくさんあった。仮病じゃないか?というのはしょっちゅう言われた。

一時的に喘息が出ているだけでも周りをギョッとさせるのに、喘息が治まると何事もなかったかの様になるから。誤解されてイヤだけど、いちいち説明しきれないし、説明できたところで分かってもらえるわけもない。だから本当の気持ちは諦めとともに押しやっていた。

すると安く見られて、テキトーに扱われるという悪循環。内心ではいつもイライラしていたと思う。それがストレスになって更なるアレルギー症状の悪化になったと思う。どんな病気もストレスをため込まなければ何とかなるのではないか。ストレスは感じない様にするのは不可能に近い

人間の体は本来ストレスに対処する方策をたくさん持っている。要はストレスは感じても、ため込まなければ良いだけの話。ストレスを瀉(しゃ。デトックスの様な状態)することがキチンとできていれば何ら問題はない。その都度「瀉」できていれば良いのだ。

ではその「瀉」はどうしたらできるのか?

それは「ちゃんとした栄養」を摂ること。では「ちゃんとした栄養」とは何か?それは人工の物でない、オーガニックの植物から採れた栄養のことです。人間の体には「瀉」するシステムは備わっている。

でもそのシステムをマックスで稼働させるための栄養が足りなければ瀉できずにストレスは溜まる一方。そしてそのストレスを消すためにまた栄養が消費される。栄養を摂ることができればシステムが潤沢に稼働でき、余裕でストレスは瀉される。

自然界のシステムは案外単純なのかもしれない。複雑に見えるのは、単純なことを疎かにしているからかもしれない。

ここまで読んでくださってありがとうございます。まだ他にもネタはあるけどキリがないのでこの辺で。今は美味しいお酒と、ほとんどの物が食べられる幸せを感じています。

体は裏切らない

体はあなたを守り、支えてくれる心強い味方です

アトピーや喘息でも人生をバラ色にできるお話<その9>【アトピーや喘息で不都合だった事 追加版】をお届けしました。

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