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アトピーと喘息でも人生バラ色にできるお話 その16

皆さま、こんばんは

お元気でいらっしゃいますか?
私はお陰様でとても元気です

一日おきくらいに書こうかなぁと始めたお話ですが、気づけば前回からもう1週間経ってしまいましたぁ〜f^_^;

アトピーと喘息でも人生バラ色にできるお話 その16

自分のこれまでの人生を振り返ると、次々と記憶が蘇ってきて、どうまとめて良いか分からない状況です

まとまらないながらも、大学時代の続きをば

大学時代はそれなりに面白かった

それまで東京の中で生活していたのが(それもほぼ引きこもり状態)、大学は地方からの学生が多く、ずいぶんと雰囲気も違った。

日本って広いんだなーと単純に感動した

友達の故郷の話を聞くのがとても新鮮だった

日本全国を一人旅してみたい、、、
でもすぐにそれは実現しないだろうと思った

見知らぬ土地で喘息でも出たら、、、
やはりここでも喘息が私の行動をストップさせるのだ

こう書くと優しい方は「あ〜、喘息で可哀想」と思われるかもしれないが、私は3歳から喘息と共に生きているので、その辺に悲壮感はない。

例えば、どこかに出かけようかなぁと思っていたら雨が降り出し、傘がないことに気づいてお出かけはやめとくか、、、みたいな
私にとってはそんな程度

アトピーも喘息も花粉症(当時はそんな言葉もなかったけど)も私にとっては日常なので、自分の体の状態を見ながら行動のレベルを決めることを無意識のうちにやっていたと思う。

憧れはあっても、それができないことを嘆く事もさほどなかった

そういえばよく友達から、「ミサの話はよくよく考えると悲惨なんだけど、申し訳ないけど笑っちゃうよね」と言われることがあったが、たぶん深刻じゃなかったからかなぁと思う、あまりにも日常過ぎて^^;

そういう訳で、大学にはさまざまな人がいて面白かった

でもそれまで経験したことのないマイナスな経験もした

大学生協では万引きの場面を2度見た

その瞬間は激しい動悸が止まらなかった

なんでそんなことをするんだろう?
全く理解できなかった
犯罪の現場ってこんななんだ
とうてい受け止めきれない体験だった

そして、そして、自分のノートを売買された事件

ある教育学部系の教科の試験会場で、試験前に何気に斜め前の席の男子学生が見ているコピー紙に目をやると、綺麗な女文字が並んでいて、

「彼女か誰かのノートをコピーさせてもらったんだな」

と思って、今度は違う学生に目をやるとその学生も似たようなコピー紙をもっていて、、、、

何かヘン!
あの図のレイアウト、あの文字、もしかして、、

と、自分のノートに目をやると

「それ!私のノートのコピーじゃん!!!」

でも私はこの人たちを知らないし、コピーを取って誰かに渡した事もない

そして最初に見つけた男子学生に聞いてみた
そうしたら、ノートのコピーがあると聞いて友達から買ったという
その友達は教育学部だそうだが、私にはノートを貸す様な教育学部の友人はいない。

ところがそこで記憶が蘇った!

同じ学部の友達が、自分が風邪で欠席した分のノートを見せて欲しいと言ってきてノートを貸したんだった

しかも風邪は大丈夫?なんて気の毒に思って声をかけたりして

私の「優しさ」を返してくれ!

確かにその子はしたたかな子だった

色んな学生にコピーして売ったのかな
売らなかったとしても、そのノートの持ち主の私の気持ちはどうしてくれるんだ!

自分のノートが勝手に使い回されていることも腹立たしかったが、友達に裏切られたのがショックだった

いや、それも違う!!

そんなことをしそうな子のつまらないウソも見抜けない、そんな自分がマヌケに思えたのが一番腹立たしかった

そういう人のそういう不正行為を助けてしまった自分が許せなかった

私は脊柱管狭窄症のすべり症で、大講義室の冷ややかな教室に1時間半座りっぱなしで講義を受けることはかなりの苦痛だった

講義が終わる頃には左足がしびれて感覚がほとんどなかった事もある

腰痛と左足の鈍痛ですぐに立ち上がれなかった事もある

前日に軽い喘息発作が出ても、一コマめの講義は欠席せずに行った

それが私にとっては日常だったから、それを理由に欠席するなど考えたこともなかった

でもその時ばかりは、そんな自分がバカにされた気分だった

その後もその友達がまた私にノートを借りにきた

その時も同じ「風邪をひいて欠席したからノートを見せて」だった

もちろん断りましたよ!

自分がなんと言って断ったか覚えていないが、同じ理由でもまだ私を騙せると思っているのかと怒りが爆発したのを覚えている

今思えば、それまで私は善意の人たちに囲まれて平和だったんだなと思う

周りのよくしてくれた友達に感謝だなぁと思う

その時はそこまで思い至らなくてすみません

それと同時に、自分の尊厳に気づけた体験だった

ハンデを負いながら頑張ってきた自分に気づけた一件だった

ともすると元気な友達にキツく当たっていた自分がいた
たぶんどこかで嫉妬していたと思う
アトピーや喘息のせいでと自分を好きになれなかった時は友達を羨ましく思い、不機嫌になっていた
本当にごめんなさい

自分にもごめんなさい

でもこの一件で、自分はこんなバカげた事をされる筋合いはない
私はこんなヤカラに見下される様な人間ではない
としっかりと認識できた


そういう意味ではありがたい体験だったのかもしれないが、その友人のことを許せた訳ではない

ある本にこんな様な事が書かれていた

「もしその人に腹をたてたら、その人を責めることに時間を割くのではなく、あなたに良くしてくれた人に感謝する時間にしましょう」

ホントにそうだなぁ

腰痛が酷い時、電車で優先席を占領している元気そうな人に恨みの視線を送るのではなく、そのずっと前にどうぞと席を譲ってくれた人の事を思い出して、またありがとうと心の中で唱えれば、腰痛は良くならなくても心はずっと幸せに近づけると思えた

そう考えればハンデも悪くないな

それに、腰痛の人は姿勢を見れば分かる様になれたし、具合が悪そうな人にも敏感になれた

やっと座れた私の座席(普通席)の前に立ったおばちゃんに、三越の紙袋で私のヒザをつつかれた事もあった。
電車の揺れのせいかなと思ったら、聞こえよがしに「寝たふりしてるけど分かるんだから。」と言われた。
銀座でお買い物するのは勝手だが、自分のつまらない苛立ちを誰かの善意で解消しようとするな!

私は病気のハンデがあって良かったのかもしれない

今日もこんな長文を読んでくださってありがとうございましたm(__)m

今のその苦しみや、悔しさや、やりきれなさは、どこかの未来で必ず大輪の花を咲かせます

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