音楽は聖霊の賜物 その2
前回の投稿で、ブラームスが作曲をする際、霊感を受けていたことについて書きました。
今回はその続きになります。以下の項目に従って書きたいと思います。
1 霊感を与える力の源
2 ヨアヒムと詩人テニスンとの対話
3 天国は存在する
1 霊感を与える力の源
前回の記事で、ブラームスは、モーツァルトやベートーヴェンらが霊感を受けながら作曲していたことを明らかにしました。
そしてブラームスは、その霊感を与えた力は、イエス・キリストに奇跡を行わせたのと同じ力であると語りました。
つまり、この力は神様から授けられたものなのです。
そしてこの力は、私たちに永遠の命をもたらすと、ブラームスは語りました。
(本より抜粋)
「モーツァルトやシューベルト、バッハ、ベートーヴェンといった真の大作曲家すべてが霊感を受けたあの力は、イエスに奇跡を行わせたのと同じ力なのだ。我々はそれを神、全能者、神聖なる者、また創造主などと呼ぶ。それは、地球や、君や私も合めた全宇宙を創造された力であり、神に心酔した偉大なナザレ人が我々に教えた力でもある。その教えとは、現世において我々自身を築き上げるためにこの力が用いられるだけでなく、永遠の命を得ることができるというものだ。」
(抜粋ここまで)
そしてブラームスは、この力は、全ての人に与えられると、聖書を引用して話しています。
(本より抜粋)
「イエス自身、この点は非常に明白であり、次のように言われる通りだ。『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる』(〈マタイ〉7・7)。
(抜粋ここまで)
2 ヨアヒムと詩人アルフレッド・テニスンとの対話
ブラームスはヨアヒムに、以前、彼の長年の友人だった詩人テニスンと話した内容を筆者に聞かせるよう要請しました。
実は、ブラームスが活躍していた同時代に、『チャールズ・ダーウィン』が進化論を唱えていました。
ダーウィンの進化論では、『ヒトはサルから進化した』とされています。
これは、『人をはじめ、全ての生命は神様が創造なさった』という聖書の記述を、ひいては神様の存在を否定するものでした。
この進化論は全世界に広まりました。特にイギリスでは、神様などいないという唯物論が席巻していました。
テニスンはイギリス人であり、優れた詩人に与えられる『桂冠詩人』の称号をいただいた人物です。彼は神様の存在を自作の詩によって証していました。
ヨアヒムはテニスンに対し、創造主の目的を尋ねました。
するとテニスンは、自作の詩を引用しながら、以下のように答えました。
(本より抜粋)
「『私には明確な目的が見てとれる』大詩人は答えた。『私は、進化を創造に関わる神のご計画だと見るが、ダーウィンやヘッケル、ハクスリーは、目に映るうわべしか見ていない。内なる核心は完全に無視しているーそれは不滅の我(エゴ)だ。創造の始まりについて、大いなる導き手であるイエスは「神は霊である」(〈ヨハネ〉4・24)と述べた。霊は識別不能で形態を持たないため、属性といえるものは思慮しかない。従って、神の思慮が創造の第一段階だったに違いない。第二段階はご計画、すなわち目的だと見る。第三段階はエーテル、第四段階は光。第五段階は原子、これは神が用いられる基本要素だ。第六段階は分子。第七段階は細胞で、生命の形態はすべてそこから進化してきた。私にとって明らかなのは、形態(フォーム)の創造は存在するものの到達点だということだ。この着想を、私は詩の第一節で極めて明瞭に描いた。「高次の汎神論」という詩だ。
太陽、月、星、海、山、それに平野ー
魂よ、これは理想像(ヴィジョン)ではないのか?
この世を治められる方の。
私は、”形態(フォーム)”ではなく、”理想像(ヴィジョン)”という言葉を使った。はじめに創造者は、自ら創造しようとする数多の異なる形態に対して、明確な理想像をお持ちだったに違いないからだ。太陽も月も星も、全能者の、あの独自な思慮の形態が表面に現されたものだ。ここで極めて明らかなのは、創造された生命の形態すべての中で、最も高次の形をとって現されたのが人間だ。シェイクスピア、ニュートン、コペルニクス、ミルトン、バッハ、ベートーヴェン、それに君と私は、ヨアヒムさん、創造を司る永遠なる霊が発現、分化して、特定の個人として現れたものだ。これは君にも明らかだろうか、ヨアヒムさん?」
(抜粋ここまで)
この答えに感服したヨアヒムは、さらに「動物の場合はどうなのでしょう? 動物にも個々の形態がありますが」と質問しました。それに対してテニスンは、
(本より抜粋)
「その通りだが、人間は、万物の源である全能の霊との同一性を感じ取る段階まで進化した唯一の生き物だ。その全能の霊が事物を生じさせる。普通の人間は誰もが、至高の普遍的な思慮の力が外面に現れたものだ。この思慮の力は個々人の意識の中にある。従って創造の究極の到達点は、想像するに、個々人の意識の中核が進化することであり、この意識の中核は、別なる高次の領域で、永遠に生きる可能性を持っている。この領域を、イエスは天の王国と呼んだ。」
(抜粋ここまで)
さらにヨアヒムは、テニスンが書いた『追憶(イン・メモリアム)という詩に書かれている『神と自然は戦っているのだろうか』という一節が、常に自分を悩ませてきたと話し、テニスンに『神と自然がどのように戦い得るのか』について、説明を求めました。
(本より抜粋)
「その節では、自分の考えを述べなかった。問いを投げかけたのだ、何世代にもわたる大いなる問いをー我々の生きるこの世には、なぜかくも悪しきものが多いのか?この問いに答えようとした試みは枚挙にいとまがない。〈ヨブ記〉の章すべてはその一例だ。私にとって、自然は神の僕であり、自然が人類を一まとめに扱っているのは明らかだ。明らかに自然は、個々の人間の要求に対してではなく、人類全体に関心を持つ。創造主の定められた自然法は不変であり、これが犯されると結果は恐るべきことになる。だが人類は、自分自身でその法を破ったため、世の病、悲しみ、窮乏のほぼすべてに対して責めを負わなければならない。人間は道徳を自分勝手に解釈する自由行為者であり、自分の望むままに行動できるが、自然に対して犯した罪の報いを受けなければならない。
たとえば、戦争では愛国心を装って殺人が合法化されるが、これは神と自然双方の法に反する最悪の事例の一つだ。動物の世界では、個体同士の闘いをよく見かける。これは自然法だと思われるが、謀り事による大規模な殺戮は、自然が是認しない。」
(抜粋ここまで)
また、ヨアヒムはダーウィンとも知り合いでした。
ヨアヒムはダーウィンに、テニスンが唱えた『神の創造の七段階(前述)』を話し、それに対するダーウィンの考えを聞き出していました。
(本より抜粋)
「その漸進的な七段階は科学的に見て正しく、私の進化論と完全に一致する。進化は漸進的で非常にゆっくり進むからだ。しかしあなたのおっしゃる、創造の究極の到達点についての仮説には同意できないし、進化の背後に存在するあの力の中に、慈悲深い御父の姿は認められない。あなたが詩の中で描き、あるいは、ナザレのイエスが言い表したようにはね」。
(抜粋ここまで)
ヨアヒムは、さらにダーウィンに尋ねました。
(本より抜粋)
「あなたは力と呼ばれましたが、この力は人間の求めに応えると思いますか?イエスが「主の祈り」で、私たちに求めよと教えたように」。
「断固としてそうは思わない。純粋に非人格的な力だと考えている。死ぬべき運命にある人間の願望や必要には何ら関係しない」。
(抜粋ここまで)
この話を聞いたテニスンは、ダーウィンについて以下のように評しました。
(本より抜粋)
「ダーウィンは偉大な人物だ。彼は人類の歴史を通して最も画期的な発見の一つを成し遂げた。だが、それは唯物論に沿ったものに過ぎない。霊的には、彼は自分自身の進化という点で相当に逆行していた。ヘッケルやハクスリー、スペンサーも同じだ。人間というものは、一面では極めて偉大でも、他の面ではとんでもなく小さな存在となり得る。親愛なるヨアヒムさん、当代ヴィクトリア朝の、こうした主要な科学者たちが犯す根本的な過ちは、五感で捉えられるものしか信じないことだ。寸法や重さが測れて、化学分析で証明できるものだけなのだ。一方で科学的な分析というものは、この世界が人間と真にどういう関係にあるかということをすっかり無視している。高次の、霊的な価値を持つものはたくさんあるー美や愛、直観、調和、秩序、霊感、自然界の法、驚くべき花のメッセージ、そして音楽。いずれも科学的な分析を拒む。だがこういうものは、あの科学者たちが重要と見なした明白な現象に劣らず真実なのだ。実際のところ、はるかに真実だと言える。こうした高次の価値は永遠のものだからだ。一方で、あのまったくの物質的なものは、いつかは消え失せる束の間のものに過ぎない。」
(抜粋ここまで)
3 天国は存在する
最後にヨアヒムは、テニスンに対して『新約聖書に多くの記述がある魂について、どのような確信を持っているのか』について尋ねました。
この質問を受けたテニスンは、異常なほどの関心を引き起こしたそうです。そして、以下のような独創的な観念を話しはじめました。
(本より抜粋)
「人間は、この世においては、普遍的な霊が凝縮して物質の形態をとったものであるから、来世においては、あの物事を生じさせる同じ力の、細分化された断片でもあるに違いない。別の言い方をすれば、あらゆる場所に行き渡っている全能の力は、たとえて言えば永遠の生命を持ち得る個別の単位にまで、自分自身を細分化する。私の考えをもっとうまく表現するなら、この力は、ゆっくりした進化の過程を通して働く、未分化の神の思慮だといえる。この過程は、その思意が特定の形態として分化されるまで続き、ついには意識ある個別の存在を持ち、「親の心」のあらゆる属性を有している。自然界の物質で実例を上げるなら、大洋からすくい取られた一滴の水にたとえられるだろうか。その一滴に、海の全成分が閉じ込められている。
だが一滴の水は、海に戻ると再び全体に吸収される。これは人間の魂には当てはまらない。
仏陀がこのことを教えているのは知っているが、重大な誤りをしていると考える。魂は次なる段階では、細分化され独立した個であり続ける。」
(抜粋ここまで)
ヨアヒムはさらに、テニスンに向かって『魂は来世にどんな性質の住処を持つのか』と尋ねました。
(本より抜粋)
「天国は明確に定まった場所だ。〈ヨハネ〉14・2で、イエスは弟子たちにこう語った。「あなたがたのために場所を用意しに行く」。私の友人に博学多識なギリシャ学者がおり、これは誤訳だと考えている。原文はおそらく、「わたしは、父があなたがたのために用意した場所に行く」だったというのだ。確かに、より理に適っているように聞こえる。私は、この上なく高揚した気持ちで詩を書いている時に、稀ではあるが、かの王国を一瞬垣間見たように感じることがある。その場所は、栄光に満ちた地球であるかのように思えた。目の覚めるような風景が飛び込んでくる。森や湖があり、我々の世界の如何なるものにもまさって美しく、両親の姿を見かけたが、この世で覚えていた姿と変わらなかったものの、顔だけははるかに美しく晴れやかに見えた。二人とも、快活と幸福の光を放っているように見えた。
私は、この垣間見た光景が、単に潜在意識下の幻影だったとは思えない。驚くほど明瞭で活き活きしていたのだ。あまりにも現実味がかっていたので、突如として、〈コリントの信徒への手紙一〉15・44でパウロが霊の体と呼んだものは、実は血肉を備えた体ではないかと思えたほどだ。すなわち物質で構成され、といっても我々がこの世で知っているような、物質の生々しい現れではなく、物質が純化された形態のものであり、エーテルや光、原子や分子でできている。こうした体は肉の目には見えないが、霊の目には明確な形態を伴って映る」。
(抜粋ここまで)
テニスンは、肉体は滅んでも霊魂は不滅であり、天国で神様と近くして生きられると考えていました。
そのような光景を、幻影とは思えないほど明瞭に見たというのです。
ラプトブログにも、天国に関する記事があります。
RAPT有料記事857(2024年8月5日)天国に住む人々はどんな願いも叶えられ、どんなものも手に入る。そして、天国には美しいものが満ち溢れ、退屈することがなく、毎日が楽しく充実している。そんな日々が永遠に続くのが天国の生だ。
https://rapt-neo.com/?p=60000
しかし、誰でも天国に行けるわけではありません。完全を目指して走る人だけが、天国に入ることができます。
RAPT有料記事793(2023年11月27日)完全を目指すことなく適当に生きる人は、食べるものも食べられない時代がやってくる。完全を目指し、実際に完全になってこそ、霊肉ともに豊かに食べて、天国の生を生きることができる。
https://rapt-neo.com/?p=59105
完全を目指さない人は、サタンから妨害され、地獄に引き摺り込まれてしまうのです。
RAPT有料記事784(2023年10月23日)神様が私たちに御言葉を下さったのは、私たちがサタンに完全に勝利するためだ。サタンに完全に勝利した先に天国があり、真の幸福があるからだ。
https://rapt-neo.com/?p=58985
日本は神道と仏教が幅を利かせ、キリスト教はあまり普及していません。
しかし、そのキリスト教も、カトリックは教会内にキリストの像やマリア像を設置しています。
これは、聖書で禁じられている偶像崇拝です。
さらに、カトリックのローマ教皇は、幼児虐待と人身売買で有罪判決を受けています。
現ローマ法王フランシスコに幼児虐待および人身売買のかどで有罪判決。
https://rapt-neo.com/?p=13698
一方のプロテスタントですが、日本のプロテスタント33教派は、『日本基督教団』という合同教会を設立しています。
しかし、この日本基督教団は、キリスト教を破壊するための工作員養成所でした。
このように日本では、日本人が神様の存在を知ることができないような仕組みが出来上がっています。
しかし神様は、私たちに救いの手を差し伸べてくださっています。
ここ最近、日本を取り巻く状況が厳しくなり、日本人の生活も苦しくなってきましたが、これも、日本人が神様に救いを求めるよう、神様が裁きを行っているためです。
聖書には以下のように書かれてあります。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
(マタイによる福音書 第7章 13節〜14節)
どうか、一人でも多くの方が、この状況が改善されるよう神様に救いを祈り求め、神様に縋り付く生き方をなさって、狭い門から命に通じる道を見いだすよう、心からお祈りいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
画像引用元:
見出し画像 https://ja.wikipedia.org/wiki/天国_%28ティントレット%29
図1 https://ja.wikipedia.org/wiki/アルフレッド・テニスン
図2 https://ja.wikipedia.org/wiki/チャールズ・ダーウィン
参考文献:大作曲家が語る 音楽の創造と霊感
アーサー・M・エーブル 著 吉田幸弘 訳