サタンのついた嘘にこれ以上騙されないために

ここ最近は、宇宙や重力の話題が続いていますが、今回は生命の不思議について書きたいと思います。

今から38億年前、海中で最初の生命『ラン藻類』が誕生したとされています。
ラン藻類は光合成を行い、大気中に酸素を増やしていきました。

そして5億4000万年前、いわゆる『カンブリア爆発』が起こり、生物は一気に多様化したと言われています。

ではなぜ、この地球にだけ生命が誕生したのでしょうか。
下記サイトには、地球に生命が誕生した条件がいくつか記されていました。こちらに書かれてある内容を、以下に要約したいと思います。

条件① 地球に海があった
水がなければ生物は生きていけない。また、最初の生物は海から誕生したと言われている。

条件② 地球の位置と公転軌道が絶妙だった
地球と太陽の距離が、水が液体でいられる範囲にあった。
また、公転軌道が円に近いため、夏と冬の寒暖差がそこまで激しくなく、生物が生活しやすい環境だった。

条件③ 惑星の大きさが絶妙だった
惑星が大きすぎると重力も大きいので、周りのガスを取り込んでしまい、ガスの惑星になってしまう。
逆に、惑星が小さすぎると、大気を維持することができない。

条件④ 太陽の寿命が絶妙だった
はくちょう座のデネブなど、他の恒星の寿命は数千年程度と考えられているが、太陽の寿命は100億年といわれ、生命が進化するまで十分に光を与えてくれている。

条件⑤ 月の存在が絶妙だった
月の引力により、地球の自転速度が遅くなっている。地球の自転速度が今より速い場合、異常気象が頻発すると考えられている。

条件⑥ 地磁気のシールドが絶妙だった
太陽から『太陽風』という、電気を帯びた粒子が常に流れ出している。太陽風は温度が10万度もあり、地球に直撃したら大変なことになる。
しかし、地磁気がシールドとなって、太陽風の影響を和らげてくれている。

このように、現代の科学では、この地球に生命が存在する理由を『たくさんの偶然が絶妙に積み重なった結果』としています。

でも、それって、無理があり過ぎませんか?

偶然が積み重なった結果誕生した生物群なら、それぞれが生き抜くために勝手な振る舞いをしそうなものです。
しかし、この地球にいる生物たちは、相互に影響し、依存しあって、全体として完璧に循環する生態系を形成しています。

アリストテレスは『自然には何の無駄もない』と言いました。

この地球の生物を見てみると、植物を草食動物が食べ、草食動物を肉食動物が食べています。
そして、それぞれの排泄物や死骸を地中の菌類や細菌類が分解し、分解された養分は植物が根からとり入れて、自分のからだをつくる材料にしています。

学校で食物連鎖や食物網として学習しましたが、食物連鎖のスタートとして最初に食べられる生物が、自らのからだをつくることができる植物だというのが素晴らしいと思います。

乱暴な例えですが、仮に、食物連鎖のスタートが私たち人間だったら、手や足を食べられても再生はできません。
しかし、植物は葉を1枚食べられても、別の葉が成長して大きくなるので、草食動物に食べられても大丈夫なのです。

また、仮に草食動物が一時的にふえ過ぎて、植物がたくさん食べられたとしても、餌となる植物が足りなくなるので、いずれ草食動物の数は減少していきます。
また、草食動物を食べる肉食動物も、餌が豊富にあるわけですから、肉食動物の数がふえて草食動物が食べられるので、結果的に全体の数のバランスが保たれていくようにできています。

さらに、食物からエネルギーを得るために、生物は空気中の酸素を体内にとり入れ、二酸化炭素を排出します。排出された二酸化炭素は植物が光合成の材料としてとり入れて有機物を合成し、副産物の酸素を空気中に放出します。食物も大気も循環しているのです。

生物以外でも、例えば降ってきた雨は生物を潤し、飲料水になったり、地表の養分を含んで海に流れ、海藻類に栄養を与え、水中の生態系を支えています。
その後、海面などから蒸発した水蒸気は再び雨となって地上に降り注ぎます。

これらの完璧な『全てにおいて無駄のない」循環する生態系が、偶然が重なってできあがるとは、私には到底思えません。

また、この循環する生態系を動かすエネルギーの源になっているのは太陽ですが、この太陽の存在も含めて、私は『全てが統一された意思によって創造されている』と強く思えるのです。

そして、この循環する生態系を創造した目的は、『私たち人間が暮らしやすい世界をつくること』にあると、私は考えています。

この目的を達成するために全ての生物を創造できるのは、『神様』しかいません。
旧約聖書には、次のように書かれています。

神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
神は言われた。
「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」
そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。
(創世記 第1章 26節〜31節途中)

旧約聖書には、神様は人間を『全ての生き物を支配する存在』として創造しています。そして、実際にそうなっています。

虫や鳥の中には、自分が生きるために花の蜜を吸ったりするものがいますが、そのからだに花粉をつけて、受粉のなかだちをしています。
結果、果実や木の実が豊かに実り、わたしたちの食生活を支えてくれています。

このように、神様は小さな虫一匹すら無駄になさらずに、私たち人間が暮らしやすい世界を創ってくださっているのです。

逆に、『全ては偶然の産物』で片づけている現代科学の方が、乱暴で不自然なのではないでしょうか。

まるで、私たちの視界から『神様の存在』を意図的に排除しようとしているように、私には感じられます。

こういった、神様の存在を認めない考え方を『唯物史観』といいます。提唱者としては、前回の投稿でも少し紹介した『カール・マルクス』が有名です。
マルクスは共産主義者でしたが、ここ民主主義の日本でも、進化論やビッグバンなど、唯物史観に基づいた内容の教育が学校でなされています。

さて、マルクスについて調べてみると、彼が悪魔崇拝者であったことがわかりました。

聖書を読むと、悪魔、つまりサタンが大昔から人間を堕落させてきたことが書かれています。

旧約聖書の創世記では、蛇(サタン)に唆されたエバが、善悪の知識の木から実を取って食べてしまい、アダムとともにエデンの園から追い出されたことが書かれてあります。

主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言ったのか。」
女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
(創世記 第3章 1節〜13節)

このように、サタンは常に私たち人間を騙し、不幸になるように仕向けていきます。
聖書を読めばわかる通り、私たち人間が不幸になるのは、神様から離れてしまったときです。
そのためサタンは、私たちが神様の存在に気づかず、神様から離れてしまうように、サタンを信じる悪魔崇拝者たちを使い、たくさんの嘘を世の中にばら撒いてきたのです。

しかし、一度立ち止まって自分の頭でよく考えてみると、サタンのついた嘘は、『嘘』だとはっきりわかります。
なぜなら、嘘を突き通すためには、さらに別の新たな嘘をつかねばならず、それを繰り返していくうちに、論理が破綻してしまうからです。
また、これだけ情報が溢れている時代ですので、ちょっと検索するだけで、サタンがついた嘘とは矛盾する事実が出てきたりします。
サタンはこれまでのように、人々を騙すことができなくなってきているのです。

サタンを信じる悪魔崇拝者たちは、サタンがついた嘘に便乗して人々を騙し、陰で巨大な利益を得たりしてきましたが、それも不可能になってきています。
そのためか、岸田首相は『増税メガネ』というあだ名をつけられても、庶民を苦しめる増税を行おうとしています。隠すこともできなくなってきたということでしょう。

先ほども書いた通り、私たち人間が不幸になるのは、神様から離れてしまったときです。
逆に言えば、神様の存在を近くに感じて生きられれば、それだけで私たちは幸せを感じることができるのです。

私のつまらない文章よりも、実際にラプトさんのそばで活動していらっしゃる方の賛美歌を聴いていただく方が実感しやすいと思いますので、よろしければ下の動画をご覧ください。

動画の最後の方で、この方が世話をなさっている犬たちの様子が映されていますが、人間だけでなく動物も幸せそうに暮らしているのがお分かりいただけると思います。

賛美歌は10曲ぐらいUPされていますので、興味がある方は下記リンク先からお入りください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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