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【2】高血圧



 ガタッ、ガタッ、ガタッ、ガタッ


 

 空へ向かって、ゆっくり、ゆっくぅり、登ってゆく。



 ギイィッ。



 と、音を鳴らしながら。



 ゆっくりと、そして、大胆に。


 

 ガタッ、ガタッ、ガタッ


 

 その様子は、まるで花のよう。毎日水をやり、成長を見守る。そして、つぼみから一輪の花を咲かせる。


 その後は崩壊。


 時を待たずして、地に向かって枯れていく。生命は死と共にある。当然のことだ。


 

 ガタッ、ガタッ


 

 この辺りでは一番の頂上に来た。青ざめた富士山が見える。


 

 ガタッ


 

 錆びた金属が擦り合う音が止んで、神聖な静寂があたりを包み込む。まるで温泉に浸かった瞬間のように。

 すると、隣に座っている看護師が綺麗な手を差しだし、言うのだ。



 「じゃ、血圧測りますね〜」



 ガッガッ、



 それから私達は地に向かって、



 グァァァーーーーーー!



 

 枯れていく。




 周りの客は、手を上げ、ギャァ。と叫び出す。私は右腕をまっすぐ上に上げ、左腕は血圧を測られている。

看護師は、必死な形相で私の腕と血圧測定器を間の平らな部分に、グッ。押さえつけている。

 左に揺れ、右に揺れ、上に一周しても、

絶対に測ってやる。そういう心意気を感じる。目がギンギンである。


 毛という毛が進行方向とは逆方向に引っ張られながらも、看護師は少し笑っている。


 「患者さん、動かないでください〜!」


 無理である。


 「体重も、測りますね〜!」


 看護師はそう言うと、胸元のポケットから、赤い紐の付いた赤いホイッスルを取り出し、口元へと近づけた。

右腕で血圧測定器を押さえながら、スゥ〜〜っと、息を吸い、身体が空気で満杯になったところで、カッ!!と目を見開き、



 ピーーーーーーーーーー!!



 聞いたこともない甲高いホイッスル。手を上げていた乗客たちは一斉に耳を塞ぎつつ、叫ぶ。



 すると、遠くの方から、



 シュパパパパパパ



 という音が聞こえる。



 音がする方向、つまりは、正面やや左。つまりは、11時の方向へと目をやると、ホイッスルと同じ色の物体が、何やら回転しながらこちらへ近づいてきている。



 どこから現れたのかは、謎だ。


 シュパパパパパパパパ


 正面やや左からちょい右へ。つまりは、11時から2時へ。



 2時には、1キロ先にあったその物体は、私の3時、つまりは、真右。距離としては20メートル先へと近づいてきた。

 物体の詳細が微かに捉えられる。

 真ん中には四角い枠。数字がうっすら見える。その枠の両脇には足の輪郭のようなものが描かれている。



 なんだろうあれは。



 そう思った瞬間には、物体は私のくるぶしに触れていた。

物体はくるぶしを押し上げて、私の膝から下をぐいんと、ブランコのように左へ振った。

 痛みはない。

 それによって、物体の勢いは止まり、私の足元で床を擦っている。



 シュルシュルシュルシュル!


 シュルシュルシュ


 シュルシュ

 シュゥ


 やがて回転も止まり、それは正体を現した。摩擦により、床は丸く焦げている。


 体重計だ。


 「乗ってくださ〜い!」


 看護師は、得意げに口を開いた。この状態でちゃんと測れるのか、という疑問もあったが、重力には逆らえず、私はそこに足を置いた。


 「10キロですね〜!軽〜い!」


 あんたの反応が軽い。


 キー◯ン山田さんみたいになったところで、この乗り物は終着駅へ着いた。看護師は血圧測定器を私の左腕から引き抜き、


 「患者さん、高血圧です。」と言った。


 こんな激しい所で測ったら、そりゃ高血圧にもなるだろう。一応数値を聞いた。


 「あ、数値は正常です。」


 ん?


 「あれ?患者さん、初めてでした〜?」


 初めてに決まっている。逆に誰が経験者なんだ。まず、なぜ看護師が乗っている。看護師の格好で。


 「あのね。患者さん。高い所で血圧を測ることを、」


 え?


 「高血圧って言うんですよ〜」


 はい?高い所で血圧を測ることを高血圧って言うんですよ?


 「なので、患者さん10キロでしたけど、高体重です。」


 高体重?


 「軽いのに不思議ですよね〜。」

 
 看護師は少し笑っている。


 あ、夢?私は、割と緑色の頬をつねってみた。つねった力と同じくらいの痛みを感じる。痛い。パッと前を見ると、前の乗客は全員降りていて、次の乗客が乗ろうと、わいわい意気込んでいる。

 私は、現実に戻ってきた。

 3時の方向から声がするので、見てみると、黄色いシャカシャカしたジャンパーを着た女性が、私に話しかけている。


 「すいません、いいかげん降りていただけますか?」


 いいかげんと言っているという事は、結構な時間話しかけていたのか。私は、何かしらの夢を見ていたのだろう。

 女性は無線を使い、応援を要請しだした。


 「もう30分ずっとですよ?はやく来てください店長!」


 遊園地の長の事、店長って呼ぶんだ、と思うのと同時に、30分!?とも思った。

 それから女性は、何も話さず、シュッとした冷たい目で私を見るだけになって、私は申し訳ない顔をして、頭を下げ、今まで抑えつけられていた肩ガッチリ安全バーを力強く押し上げる事にした。


 ググググ



 あれ?上がらない?



 ググ


 あれ?


 私は私の出せる力を両腕に集中させ、安全バーを押し上げたのだが、上からの圧力により、押し戻されてしまった。

 上からの圧力というのは、上司とかそういうものではなく、ただの「力」の事である。


 黄ジャンの女性が、驚いた顔と驚いた時の声量で発してきた。


 「え!?ちょ!?は!?下!!足!!下!!!え!下!!」


 床は丸く焦げている。


 「え!!どうすんですか!!下!!足!!焦げてるじゃないすか!!!え、その体重計なんですか?」


 そんなことはどうでもよくて、安全バーが上がらない事の方が問題であるので、私は、無視した。

黄ジャンの方向に少し身体を向けていた私は、椅子と平行になるよう、身体を戻し、もう一度、力いっぱい押し上げた。


 肩から、肘、そして、手のひらへ。全ての力を上へと向けた。


 しかし、結果は同じだった。

 しかし、同じじゃない事が一つ。


 私の左耳から、ものすっごい鼻息が聞こえる事である。

その鼻息を聞いたとき、私は悟った。あぁ、あの看護師だ、と。苦楽を共にした、あの、看護師だ、と。


 気づけば少し笑っていた。


 「いや、え!!焦げてるんです!え!どうすんすか!!弁償ですよ!!!!え、その体重計なんですか?」


 好きだ。


 私は、全身の力を抜いて、上からの圧力に抵抗するのをやめた。代わりに、思いきり、かつ、優しく、私の頭上にある彼女の綺麗な手を握った。

 彼女は、まるでジェットコースターのように、ゆっくり、ゆっくぅり、手の力を抜いていく。


 そして、私の手を、優しく握り返す。


 柔らかい花の香りがする。


 私は、ふいに、優しい手をしている彼女の顔を見たくなった。


 「店長!早く来てください!イチャイチャしてます!」

 

 好きだ。


 そして私は、12時から9時の方向へ、顔を向けた。 

彼女はそこにいた。決して夢ではなかった。紛れもない事実、疑いようのない真実が、私の目先にあった。

 彼女と目があったまま、12時が過ぎようとしている。ダウンジャケットが勿体ない程の丁度いい風が吹いている。恋の始まりには、あまりにも贅沢な、春の日。


 「店長!早く!店長!店長!!」


 好きだ。

 好きよ、と言わんばかりの目で私を見ながら彼女は口を動かした。声には発さず、口パクで、何かを僕に伝えようとしている。

 私は、彼女の目から口元へ視線を移し、観察した。彼女は優しいので、何度も何度も、同じ言葉を言う。ゆっくりと、そして、大胆に。



 お、え、ん、よ、う?



 彼女は、ブルブルと横に首を振る。不正解みたいだ。



 ご、健、勝?



 彼女は、またブルブルと横に首を振る。かわいい。



 ほ、け、ん、しょ、う?



 彼女は丸っこい笑顔を浮かべ、ブルブルと縦に首を振る。正解みたいだ。

そして、声に出さなかった事がまるで、そうまるで意味のなかったかのように彼女は喋りだした。


 「保険証と診察券お願いします。すいませんね、先にもらうの忘れてて。」


 彼女の目は死んでいる。さっきまでの天真爛漫な彼女はいない。


 「患者さん?」


 私は、何も考えられなくなった。あの時の君はどこに行ったの?目を合わせるだけで想いを通い合わせられていた、あの時の私達は、?どこにいったの?

 そんな問いをしても、彼女の死んだ目は終わらない。まるで生きているかのように。死んでいる目が生きているかのように。生きていた目が死んで、死んだ目が生きているかのように死ぬ。死んで生きて死んで生きての繰り返し。命の根源は彼女である。命の根源が彼女である限り、彼女の根源は命である。生命は我々と共にある。

 

 「看護師の目」は私を奮い立たせ、気がつけば、私は保険証と診察券を渡していた。


 「5800円になります。」


 高い。血圧と体重で?相当高い。というか何で?私はただただジェットコースターに乗っていただけなのに。診察を受けに、そもそも来ていない。え?というかここどこ?あれ?私はそもそも、ジェットコースターに乗ろうとここに来た覚えがない。そもそも、ジェットコースターに乗る前の記憶がない。


  「患者さん?」


 次の患者いるから早くしての目。え?次の患者いるの?え?ここは何?病院?何科?医者は?


 「電子マネーで払いますか?」


 電子マネーで払えますか?病院で。え?病院ではないから払えるってこと?え?なんなの?払わなきゃいけないの?


 「患者さん?あぁ〜パニックなってますね。あぁ。鈴木さん!お願いします。」


 さっきまで、高血圧だった黃ジャンが一気に冷静になり、次の乗組員たちの前をスタスタ通り過ぎ、小さな小屋に入った。

次の乗組員たちの高血圧も、女の掛け声で低血圧になり、スッと静かになっている。


 神聖な静寂から金属の擦り合う音が聞こえだす。



 これが、再び動き出したのだ。


 


 「患者さん、患者さん!」




 女は私の名を知らない。だが少しだけ、ほんの少しだけ、女は私の事を知っている。私が、彼女を好きだった事を。




 「患者さん!少しだけチクッとしますね。15秒だけ気を失うだけの注射です。」

 



 その言葉を聞いて、私は女の顔を見た。9時の方向。首元にもう少しで届きそうな、注射器を飛び越えて。恐る恐る、見た。






 女は、少し笑っていた。








2022/4/16「高血圧」

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