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私と英語

私が生まれて初めて行った海外は、
オーストラリアのシドニーでした。

小学5年生の時に、
家族旅行で行きました。

70年代後半で、海外旅行に行くことは、
まだ一般化されていない時代でしたが、

父が航空会社に勤めていて、
母の妹である叔母が、オーストラリアに
住んでいるおかげで、
海外に行くチャンスに恵まれました。
とてもラッキーでした。

オーストラリア旅行中に、
日本人を見かけることは珍しく、
一度だけ、観光地で、
日本人旅行客らしきご夫婦とすれ違った時に、

まるで友達に会ったかのように、
親達はちょっとした挨拶から、立ち話で、
花を咲かせました。

私も海外という見知らぬ土地で、
日本人と会えたことが、嬉しかったです。

あるビーチで見かけた、金髪で青い瞳の少年に、
胸がときめきました。

ほんの一時期でしたが、
金髪で青い瞳の人と、将来、結婚すると、
心に決めました。
(のちにそうなりましたが…)

シドニーの叔母の古い友人夫妻、
70代のオーストラリア人ご夫妻でしたが、
叔母から紹介されて、
ランチに呼ばれ、
とてもよくしてもらいました。

まだ私は、小学生で、
学校での英語教育も始まってなかったので、
お礼の気持ちを伝えることもできず、
とても悔しい気持ちが残りました。

その悔しい気持ちがきっかけとなり、

次回、このご夫婦に会う日まで、
英語をもっと話せるように勉強しようと
思いました。

それから高校1年の時にまた、
シドニーの叔母に会いに行く事になり、

その時は、前よりも、
そのオーストラリア人ご夫妻に、
思ったことを伝えることはできたと思ったものの、
まだまだ未熟で、

相手の言うことを
聞き取ることができず、
自分の英語力のなさに、
失望しました。

シドニーの叔母は、
高校卒業後、アメリカへ行き、
その数年後にオーストラリアへ移住。

コンピュータ会社に勤め、
一生懸命貯めたお金で、
ビジネスを始めました。

その叔母によって、
私は、感化されました。

その叔母は、白人社会で、
偏見や不平等な扱いをされながらも、

人の何倍も一生懸命仕事をして、
信頼を勝ち取り、
出世した、
私の尊敬する叔母です。

日本人として生まれたにもかかわらず、
二十歳の頃から、
オーストラリアで暮らしてる叔母は、
心はオーストラリア人です。

子供のいない叔母は、
自分の全財産をお世話になったオーストラリアに、
貢献すると言いました。

私は、そこまでオーストラリアという国に、
忠誠を立てれる叔母の思いは、
素晴らしいものだと思いました。

そして、
そこまで深い絆を得た、叔母の
オーストラリアでの人生は、
幸せだったことでしょう。

日本を離れ、
海外で暮らしていても、
幸せだった叔母。

そう思うと、
私は、嬉しくなりました。

もう何十年と叔母とは会ってませんが、
もしまた、会うことができれば、

色々と話しを聞いてみたいと思います。






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