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夢見る頃を過ぎても
このところ、友達が続々と新しい世界へ一歩を踏み出している。
ひとりは、Instagramでフォロワー数が10倍になったし、もうひとりは、YouTubeにチャンネルを開設した。
ふたりのチャレンジを眩しく見つめ、その着実な歩みを一緒に喜びながら、羽ばたいていくのを後ろから見守っているだけの自分が、少し寂しくなった。
ふたりの努力はそれぞれ知っている。
今の状態は、なるべくしてなった必然だ。
必ずしも努力が報われる、とは言わないけれど、それでもやはり、ふたりが淡々と続けたことが実を結ぶ姿を見ていると、努力なしに成功はないんだな、と思う。
そもそも「インスタフォロワー10倍」や「YouTube開設」は、彼女たちの通過点であってゴールではない。
ふたりとも、いつもプロセスを大切にしながら、夢を抱いてコツコツと日々を生きている。
あらゆるスポーツにも通じると思うのだが、たとえばスキーなどは、足元だけを見ていると転ぶし、危ない。車の運転のように、視線は遠くを見ることが必要だ。
前に進むときは、つい、自分の足元だけを見てしまうが、視点は遠くにあったほうがうまくいくことが多い。
だから、夢や目標を見据えながら生きることは、案外理にかなっているんじゃないか、と思う。
仕事においては、同じ職業を何年も続けることが素晴らしいことだ、という思い込みが、私にはある。だから一つの職業に就き、それを積み上げてこなかった後悔が、どこかにくすぶっている。
長いこと「キャリアがないからダメだ、私は何もできない。夢だの目標だの、語る資格がない」と思っていたが、そんなことにこだわる必要はもう、ないのかなと思う。
もちろん、勤続が素晴らしいことに変わりはない。でもだからといって、そこにこだわって、何になるんだろう。
人生は後悔するほど長くない。
夢をみるには、私は少々年を取ってしまったのだが、だからといって遅すぎるからと諦めてしまえば、そこで終わってしまうし、楽しくない。
いくつになっても夢をみながら暮らすのは、この世知辛い世の中にあって、心を養う大切な要素になると思う。
どうやったら一歩を踏み出せるのかな、と問いかけたら、ふたりは「勇気をもつこと」と口をそろえた。
できないから、年だから、どうせ成功しないし無駄だから、ではなく、とにかくやってみる。
ボルダリングみたいに、まずは近くに手を伸ばしているうちに、気が付いたら登ってる感じだよ。
なるほど、なるほど。
それなら、そういえばいつのまにかやってたことがあるよ、と私は二人に言った。
二人に会った時の私ときたら、何もできない、挑戦しない、勇気がない、の三拍子で、部屋にこもって漫画ばかり読んでいたのに、今はnoteでひと様に文章を読んでいただいてるよ。
ほら、それそれ。
勇気を出したことに自分で気づかないくらい軽々と一歩を踏み出してたよね。
それを見て私たちも、力をもらってたんだよ、という。
二人から励まされながら、あるときは私が励ましているときもあるんだ、と驚いた。
「でもそれは、結果がどうとか、考えていなかったからできたんだよ。明確な目標なんてなかったし、ただ何か書いていられるのが嬉しかったから。結果を求めて、結果が出ないかも、と思うと、怖くない?」
臆病者の私はつい、聞いてしまう。
以下、ふたりの話を要約すると、こんな感じだ。
始める前は怖かったけど、始めてみたら気づいたことがいっぱいある。
自分がやりたいことに向かっていると、自分の思いがけない力に気づいたり、助けてくれる誰かがいたりする。
でも、始めてみなければ、その力には気づけないし、誰かにも出会えない。
気がついたら、感謝してるんだよね。
あはは、なんか「いかにも」なこと言ってるね。
でもほんとなんだよね。
どんな分野でも、何かで褒めたたえられるひとは、みんな「ありがとう」って言うよね。「成功」とか「結果」って「自分が感謝してる状態」のことなんじゃないかな。
成功した人は「感謝が大事」って結論だけを言うでしょ。
でも本来は「プロセスのすべては自分のチャレンジが人に支えられていることを理解する過程なんだ」、といいたいんじゃないかな。
夢はまだまだ先だよ!
でも楽しんでチャレンジしているよ。
ここまでこれたことに、みんなに、ありがとう、だよ。
ふたりの話は、言葉はそれぞれ違うけれど、びっくりするほど根っこは同じだった。
私たちは、四十代、五十代。
若い人は「そんな年から何ができるっていうの」と思うかもしれない。
若いころは、年を取ったら何もできなくなるから、早く結果を出さなきゃ、成功しなきゃと焦ることが多い。
キラキラと美しい包装紙にパッケージされ、一瞬を切り取られた若い美男美女の不老不死みたいな何の苦労もない人生が、SNSやネットやメディアの中で輝いているように見える。
友達がみんな、そんな人生を歩んでいる気がしてしまう。それに比べて自分は、と思ってしまう。
焦る。
萎える。
凹む。
そうやって自分を損なう人がたくさんいると思う。
私もそんな若者のひとりだったように思う。
実際、この年になっても、ふたりのチャレンジをすごいな、うらやましいな、それに引きかえ私は、と思ったのも事実だ。
でも、大切なのは年齢という数字じゃない。
老いも若きも、やり方次第でそれなりに楽しめるのがこの世と言うもの。
少しずつ、でも、思い切って。
好き、をジャンピングボードに、やれないと思うことも、やってみる。
そうしたらまた、新しいステージに行けるのかもしれない。
思い切って、最初の、そして次のホールドに、手を伸ばしてみる。
必要なのはきっと、勇気ひとつだから。