教科書の思い出 vol.1 音読インシデント『かわいそうなぞう』
企画には、しばらく乗らないことにしようと思っていました。
何か感情的な理由ではなく、単に4月に入ってからなにかと忙しくなってしまったからなのですが。
過去記事を転載することで乗り切ろう。
時折、下書き記事を推敲して投稿しているうちに、忙しさにも慣れてくるんじゃないかな。
…そう、思っていたのですが。
出会ってしまいました。
メディアパルさんの企画、『教科書で出会った物語』です。
メディアパルさんも本文中に書いていらっしゃいましたが、私も全く同じで、春に国語の教科書をもらうと、まずは隅々まで読んでしまうタイプでした。
もうそれが、「国語の教科書っていうのはお話の玉手箱かしら」ってくらいのワクワク感。新しい教科書が配られるのが楽しみでした。
でも、肝心の国語の授業は、少し退屈でした。
なにしろ「勉強」なので、同じところを何度も音読したり、漢字を書きとったり、言葉の使い方や意味を習ったり、クラスみんなで1行ずつ読んだり、バラグラフごとに当てられて読んだりする、その繰り返しだったからです。
今となればそれが大事なことだとわかりますが、子供の頃は何日も同じお話を繰り返すのが少しがっかりでした。
当時は次々と新しいお話を読みたい、と思っていたのです。
それでも、教科書の中のお話で印象に残っているのは、ひとりで勝手に読み進めてしまった物語よりも、「授業のひとコマが忘れられないお話」だったりします。
筆頭は、『かわいそうなぞう』。
戦争のお話です。
昭和五十年代の、小学二年生の教科書だったでしょうか。
『かわいそうなぞう』は、こんなお話でした。
お花見で賑わう上野動物園の片隅で、ひっそりとたたずむ墓を撫でるひとりの男性。
その人が、そこに祀られたジョン、トンキー、ワンリーという三頭のぞうの話を語りだすところから、お話が始まります。
第二次世界大戦下、次第に戦争が激しくなっていました。
もし動物園が空襲にあったら、トラやライオン、ゾウなどの猛獣が、檻から出て町の人を襲うかもしれません。
飼育員さんたちは、大動物たちに毒の入った食べ物を与えて殺さなければならなくなりました。
次々と殺されていく動物たち。
しかし、賢いぞうは、飼育員さんたちが与える毒の入った果物を、選り分けて食べません。注射をしようとしても、ぞうの硬い皮膚は注射を受け付けないのです。
やせ細った姿で、それでも毒入りの食べ物を食べまいとするゾウと、泣きながら毒入りを食べさせようとする飼育員さん。
いっぽうで、なんとか助ける方法はないかと模索しますが、どれも徒労に終わります。
食べ物を食べず、ぞうたちは一頭、また一頭と死んでいくのでした…
涙なしには読めない物語です。
これを毎回、音読する。
無邪気に淡々と音読は進んでいました。
食べ物をもらうために、よろよろと懸命に覚えた芸をするぞうたち。
ついに、動かなくなります。
「ぞうがしんだあ!ぞうがしんだあ!」
飼育員さんが泣きながら叫びます。
そこで、とある女の子が、とても感情をこめてその台詞を読んだのですが…
感情をこめすぎてしまったのでしょう。
その変化に富むイントネーションと演技力に、子供たちがクスクス笑い出し、しまいには教室中が大爆笑に包まれました。
ええええ~!
この展開に、内心ショックを受けた私。
確かに、突然お芝居が始まったような迫真の叫びに、私も思わず笑ってしまったのは事実。
コメディのドラマや映画で、唐突に主人公達が歌い出したりする場面がありますが、今思えばあんな感じだったかもしれません。
でも、この場面はお話のクライマックス。
最高潮に悲しい場面なのに…
みんな、もう、笑わないで…
もちろん先生は
「こら!ユキコちゃん(仮名)は真剣に、この飼育員さんの気持ちになって読んだんだよ。笑ってはいけません」
と言いましたが、なにしろ子供。
一度火のついた笑いは止まらず。
頑張って読んだのに笑われて、顔を真っ赤にして涙ぐんでいるユキコちゃんが可哀そうでしたが、確かに彼女のその叫びは、今でも私の脳裏にくっきりと刻まれ、録音されているかのように再生可能。
悲劇と喜劇は紙一重…
あのときは、緊迫したぞうの死に張りつめていた子供たちの緊張が、その台詞で一瞬にして解けてしまったのかもしれません。
その後、何度も「かわいそうなぞう」を読む機会はありましたが、その都度、ユキコちゃんの叫びも一緒に思い出します。
あのとき飼育員さんの叫びに悲しみを込めたユキコちゃんの気持ちはすごくよくわかるのに、…ごめんねユキコちゃん。やっぱり思い出すのは、あのときの教室の出来事なのです。