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映画と下着
十二月は、夫と、今年観た映画の中でどれが一番だったか、という話になる。
私ども夫婦は映画好きで、ふたりとも50を過ぎているので、「50割」を利用して映画を良く観に行く。自分たちは「夫婦50割」を利用していると思っていたが、実は「夫婦50割」は終了しているところが多く(TOHOシネマズなど)、現在利用できるところはほとんどが「ペア50割」なのだそうだ。
しかも、夫婦じゃなくても、どちらかが50歳を過ぎていれば利用できるらしい。ちなみに、私たちが良く行く映画館は「T .ジョイ」という東映系の映画館。
この話題は、毎年恒例にも関わらず、例年意外と「うーん、これといって1番って言われてもなあ」みたいな結論になることが多い。
だが今年は違っていた。我々は即座にナンバー1をはじき出した。
私は断然『RRR』で(今年の映画ではないが、私が観たのは今年だったので)、夫は『G-1.0』だった。
私も『G-1.0』は邦画の中ではナンバー1である(いつか書くことがあるかも)。でも『RRR』の衝撃に勝てなかった。
ところで今日は、今年何の映画が1番面白かったか、と言う話をしたいのではない。
下着の話である。
なんでこの年末に突然、と思われると思うのだが、——そしておばちゃんの下着の話は何の感慨も催さないしむしろ嫌悪、と思われる御仁もおられるとは思うが、まあご勘弁願いたい。
このところ服の断捨離をしており、当然ながらくたびれた下着もその中に含まれていて、ふと、自分の下着のラインナップの中から「黒」が消えていることに気づいた。
この場合の「下着のラインナップ」は「ブラとパンツ」を意味する。当然ながらセットものである。私はブラとパンツはセットで買うことにしている。考えるのが面倒くさいからと言うただそれだけの理由である。勝負のためではない。
キャミソールやタンクトップ系のものは黒があるのだが「ブラとパンツのセット」は、ベージュやピンクなどの色しかない。でもなんなら割と最近まで黒のセットがあったのである。いつから消えたのか。
てなことを考えていたら、思い出した映画があった。
『ベンジャミン・バトン』というブラピ(ブラッド・ピット)の映画である。ブラピは「80歳のおじいさん」として生まれ、人とは逆の肉体の時間を生きて、最後は赤ちゃんになる、という数奇な男「ベンジャミン」を演じている。
幼馴染のデイジーという女性がいて、彼女がベンジャミンの運命の女なのだが、互いにほどよい時期(おそらくふたりとも40代)に結ばれ、結婚し、子供も生まれる。が、それも長く続かず破局(若返っていくばかりのブラピが娘の将来を案じ家を出て行く)。
デイジーは再婚するのだが、娘がティーンエイジャーの頃、突然20代くらいに若返ったベンジャミンがデイジーの前に姿を現す。その時に、二人は当然のようにホテルで過ごすのだが、彼女が若いベンジャミンの視線からこそこそ隠れるように黒いブラをつけるシーンが忘れられない。
ふむふむ。こういうとき、選ぶ下着は黒なのか。
わかるような気がした。デイジーはいろいろあった前半生を総括するようにブラピと結ばれたので出産は40代後半。20代前半のブラピが現れたときの彼女は60歳前後という計算になる。夫もいて、状況としては不倫になる。体型も崩れ、若くない女性が選ぶ下着は、黒一択だろう。少しでも、ほんの少しでもスリムに見えるように。それは非常に複雑な女心を表現するのに相応しい色に思われた。
昔々、NHKの人形劇で『プリンプリン物語』という番組があって、私はそれが大好きで毎日見ていたものだが、その中に出てくるヘドロという悪役キャラの「ヘドロの歌」というのがあった。
わたしはヘドロ ヘドロ
せかいで いちばん いいおんな
すきないろは あかとくろ
レッド アンド ブラック レッド アンド ブラック
あかは ちのいろ~くろは つみのいろ! オ・レ!
お金の歌もあった。
お金さえあれば~
なんでも手に入るぅ~
お金 お金 お金!!
というタイトルがあったらしい・・・
話がそれた。
そう。黒は「罪の色」なのである。
デイジーが感じていた「罪悪感」。それを表すのにも、黒でなければならなかったのだろう。
『ベンジャミンバトン』を観たのは私も若かりし頃で、当時、今後の人生の教訓にすべく、映画における記号としての「黒い下着」について思いを馳せたのだった。
さて、今年観た映画のひとつに『月の満ち欠け』があった(上映開始は2022年12月だったが、私が観たのは今年の1月だった気がする)。
松竹の映画紹介には次のようにある。
第157回直木賞受賞、佐藤正午の描く感涙のベストセラー小説が廣木隆一監督により待望の実写映画化!出演:大泉洋/有村架純 /目黒蓮(Snow Man)/ 柴咲コウ
あらすじはこんな感じ。
小山内(大泉洋)の娘と同じ名前を持つ謎めいた女性(有村架純)。
1980年の雨の日、大学生の三角(目黒連)と運命的な出会いを果たす。
(目黒連は)大学生の時、(有村架純と)許されざる恋に落ちる。
(かっこ)内は私が補足しました
生まれ変わりをモチーフにしたファンタジックな恋愛ものだ。
過去生のほうの有村架純は目黒連と出会った時人妻で、年下の大学生目黒蓮と運命的に出会い、結ばれる。そのときに身に着けていたのが、やはり黒い下着だったのである。そのシーンを見た時、ふと『ベンジャミン・バトン』のあのシーンを思い出したのだった。小説中に、下着の色にまで言及した箇所があるのかは、わからない。
『ベンジャミン・バトン』のときは、少しでも体型をカバーしたいという気持ちがあるのだろうと思ったのだが、有村架純は美人でスリムである。それでも年下の男性との不倫関係のときには黒い下着をチョイスするのか。
つまりこれは「年下の男性」「不倫」といったら「お約束」、ということなのかもしれない。どちらもファンタジーというカテゴリに入るであろう映画なので、リアリズムとは一線を画している「イメージ」なのかもしれない。「バイアス」かもしれない。
そして果たしてこれは、「男性の作家」や「男性の監督」目線の演出的なものなのだろうか。それとも、女性の作家や女性の監督でも、こういった演出をするのだろうか。
それからは、映画でもアニメでも小説でも、不倫もの、年下の男性と年上の女性との逢瀬の場面を、非常に興味深く拝見しているのだが、生憎ちょうどいい場面に行き当たっていない。どなたか、それに類するものにピン!と来たかたがいらっしゃったら、教えていただきたいと思う。
ところで下着と言えば。
私はコロナ禍に『機動戦士ガンダム』のいわゆる昭和シリーズの第1シリーズから第3シリーズに当たる『機動戦士ガンダム』『機動戦士Ζ(ゼータ)』『機動戦士ガンダムΖΖ(ダブルゼータ)』を連続して観たのだが、主人公の下着が全部違う、と指摘して息子に呆れられたことがある。
初代のアムロはトランクス派、ゼータのカミーユはブリーフ派、ダブルゼータのジュドーはボクサーショーツ派なのである。なぜか主人公が下着姿になる場面が必ず盛り込まれているのも不思議なのだが、これが、アニメが制作された年代を如実に表しているのか、はたまた主人公の性格を差別化しているのか、気になるところである。
母親が常に下着ばかりに注目していることに息子は「まさかそんなところに注目するとは。うちの母、大丈夫か」とまるでスパイファミリーのアーニャのごとくに言ったが(当時はまだスパイファミリー放送前)、特に映像の場合、下着は人物を表す重要なファクターであるように思うのは私だけだろうか・・・
——私は注目し続けますよ。ええ。
今回「みらっち」で初めて「#シロクマ文芸部」に参加します。
小牧部長、「みらっち」ともども、今後ともよろしくお願いします。
この記事を書くにあたって、「ファンデーション」は肌に直接身に着ける下着、「ランジェリー」はその上に着る下着という区別があるということを初めて知りました。みなさんご存じでした??
「十二月」というお題、どういうわけかエッセイのような、コラムのようなものばかりになりました。
創作は次回から。