鎌倉ほのぼの散歩 二十一番「成就院」
「長谷寺」を出ると、もう暑くてかないません。さっき食べたところだけど、ちょっとひと休みしてから行きましょう、ということになり「長谷寺」すぐ近くの古民家カフェ「ブオリ(vuori)」さんに寄ることにしました。
こちらは絶品かき氷で有名なお店。
かき氷大好きな空ちゃんはイチゴのかき氷を注文。実はみらいはかき氷がちょっと苦手なもので、珈琲とケーキを注文しました。
イチゴのかき氷は見た目もゴージャス。空ちゃん、美味しく召し上がっていました。
そして我々は意を決して外に出ると(暑くて溶けそう)、一路極楽寺を目指します。
坂道が、きつい。
「成就院」への道は、江ノ電「極楽寺」駅から始まりました。道は比較的わかりやすく、ナビ子の手を煩わすまでもないのですが、ゆるやかに道の傾斜がかかり、最後の坂道はかなりのもの。
というのもここは鎌倉の切通しのひとつ。難攻不落の極楽寺切通し。
昔、鎌倉は天然の要害都市と言われ、海の他に陸地からの入り口は七か所の「切通し」=「山や丘などを切りひらいて通した道」しかなく、鎌倉の七口と言われていました。そう、つまり、基本的には閉じているところに無理やり道を通しているだけ。そこだけ壁を切り崩して穴を開けている感じ、でしょうか。外と内を繋ぐ窓口でもあるし、戦略上の重要拠点でもあります。
私は切通しがちょっと怖いです。現在までその姿をとどめている切通しはそんなにはないので基本行ったことがありません。「おいこら」と追いはぎが現れて「なにやつ」と答える武士。襲ってきた盗賊を「こしゃくな」とズバツ!盗賊もやり返してブシャッ!逃げ道なし、みたいな。笑。すみません、想像力豊かで。笑。いや、当時は笑い事じゃなかったと思います。武士だけではなく盗賊だとか間者だとか旅人だとかが、ぽつりぽつりしか現れない暗い森の中の断崖絶壁って感じのイメージしかない。芥川龍之介の「藪の中」みたい。絶対夜とか通りたくない。こわ~
ほのぼの散歩にも時折出て来る1333年新田義貞の鎌倉攻めのときはこの極楽寺切通しが激戦地となり、多大な犠牲者を出しながら最終的に突破することができず、海から回って鎌倉に入りました。当時の切通しの位置は、現在の「成就院」と同じ高さだったと言われています。「成就院」はこの鎌倉攻めの際消失し、いったん別のところに移築されましたが、約350年後の1688年にまた元の場所に再建されました。
坂の上に、さらに108段の階段があります。登るんか……これを。
息が上がりつつ、ようやく「成就院」の門に到着。
登山で登頂した気持ちで海のほうを見ると、絶景です。素晴らしい景色。由比ガ浜が太陽にキラキラしています。
「成就院」は真言宗のお寺で、ご本尊が不動明王様。観音様は聖観世音菩薩様が祀られています。さっそくお参りし、御朱印をいただきました。
いただいた御朱印を見て、空ちゃんが「んんん」と言いました。若干眉を寄せています。
空「なんか……思ってたような字ではない、というか……」
確かに、これまでお寺でいただいて来た達筆な御朱印とは違います。なんというか、ポップな感じ。
み「いや、これはこれでなかなか、味があっていいかもよ」
空「うん。まあ、そうだね……(でもちょっと微妙)」
御朱印を書いてくださった方はとてもお若い方で、もしかしたらまだ修行中だったのかもしれず、デフォルトの字ではないのではないかと思われます。そもそも、御朱印のデフォルトなんてないわけで、筆字の達筆でなければならない、というのはこちらの勝手な思い込みでもあります。現在はその字がかの寺の標準、あるいはあえて意図したものかもしれません。
気を取り直し、境内にあるご本尊の「御分身」である不動明王像をお参りしました。案内に「お写真を撮ってスマートフォンの待ち受けにされると守ってくださいます」(※文言は違います)と書いてあり、さっそく撮影。
こちらのお寺では2、3名の参拝の方とすれ違いましたが、全員お若い女性でした。後からネットで、縁結びのパワースポットだと言うことを知りました。お若い方に、ふたりの写真も撮っていただきました。ありがとうございます。
ちなみにこの「成就院」は、今回の三十三観音様参り中、個人的にいちばん不思議なお寺でした。まず、お寺の近くに来たら急に空気が変わった感じがしたこと。そして成就院を出たとたんにスマホを落とし、これまでにないほど破損したこと(私はよくスマホを落とすので、それまでも何度も落として保護ガラスを割っています。このときは史上最悪にバリバリに割れました。スマホも重体)。新しいスマホを購入した後、上記のアドバイスに従いこちらの不動明王様を待ち受けにしたところ、あれから2年経ちましたが、一度もスマホを落としていませんし、保護ガラスに傷ひとつありません。ふ・し・ぎ。
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