freestyle 17 やりまつがい
読んでいるそばからクックッと笑いが込み上げてしまう文章がある。殊にそういう文章を好む私は、若かりし頃「それ系」の本を見つけては「電車の中では努々開くこと勿れ」と言いながら友人知古に文庫本を手渡したものである。
だからこんな企画を目にした時は、胸が躍った。
今回の企画には、なんと「真顔で書く」と言う縛りがある。これは厳しい。
真顔で面白いのは、「言いまつがい」だろう。
言いまつがい。
ドキがムネムネ、みたいなやつだ。
すっかり定着した感があるが、元々糸井重里氏らが作った恥ずかしい言い間違いを表す造語である。
いいまつがいの種類には次のようなものがあるらしい。
「歌いまつがい」とは、赤い靴履いてた女の子が「ひい爺さん」に連れられて行っちゃった系の間違いのこと(←正確には「異人さん」)。
書きまつがいは、子供が宿題やテストで捻り出した「キャベツ、ピーマン、ブッコロリー」などだ。ちょっと検索するだけで有名な珍解答が目白押しで、腹筋が崩壊寸前となる。
やりまつがい、ってなんだろう?急には思いつかないなと思ったが、とかく人の間違いや勘違い、場にそぐわない椿事というのは面白い。
私の母は、言いまつがいの宝庫のような人だ。
昔は家に1台しか電話がなかったので、「取り継ぎ」というものが発生した。
リンリンと鳴って我が家ではたいてい母が最初に電話に出る。若いころから母は、相手の名前を「山田」の山か、田しか覚えない。だから伝える際は「山本」さんになったり「田中」さんに変化している。
母は母で「ああ~、ホラホラ。田…なんだったかな。ん~田中。そう田中さん」みたいな言い方はしない。
「田中さんから電話」。
堂々と告げる。
家族は慣れているから、母に「田中」と言われたら本当の田中さんの他、知り合いの田や中のつく人を思い浮かべて、電話がかかってきそうな可能性と照らし合わせ、大抵「ああ山田さんか」と何故か正確に理解するのであるが、まれに本当に田中さんの時があってビビる。
なかなかスリリングな電話の取り継ぎなのだ…
…と、ここまで書いて問題が起こった。
自分の記事が中途半端な状態で、うっかりグランプリに参戦する方々の投稿を、読んでしまったのである。
いやむしろ急に、読んでおかなきゃいけないんじゃないかと思った。この期に及んでKY投稿をしてしまったらいけないんじゃないかと、妙な常識人の意識が、ちらりと頭をよぎったのだ。
あ…
やば…
面白さの次元が違う…
コメント欄まで巻き込んでの嵐が起きている…
まずい。
こんなに面白い記事の数々を読んだ皆さんが、後発記事にもっと面白い話を期待するのは、これ当然というものだ。
一時は、もう投稿はやめよう、と思った。
これはもう、そんじょそこらの面白さでは許してもらえそうにない。私のこの記事はもはや、「リアルやりまつがい」となる。しかもハズすやつ。
しかし、もう投稿諦めますと言った私に、なんと「〇〇について思うこと」さんが「気を取り直したら投稿してみて」なんて声をかけてくださった。
主催者のおひとりであり、最も嵐を巻き起こしているご本人が…
悩んだ。
そしてこう、考えてみた。
「笑い」というものは、ものすごくタイミングに左右される。
風船がめいっぱい膨らんで割れる直前みたいに、笑いのヴォルテージが上がっている時がある。沸点で言えばめちゃくちゃ下がった状態。あ、いま、ちょっとつつかれたら笑ってしまう、という状態だ。
一方で、どんなに面白いことをされても言われても、どうにも心が動かず、死んだ魚の目で虚ろにコントを見てしまうこともある。
前者ならお父さんの寒いダジャレにだって吹き出してしまうかもしれないが、後者ならどんなことをしても無駄無駄だ。
そもそもグランプリだ。「おーしかかってこい。地元の先輩呼ぶぞコラ」くらいの勢いで「笑い」を求めている人々に応えられる「面白い話」は、そうそう、あるもんじゃない。
もしかして、「盛り上がりを見せている状態に後から参戦」、というのは実はチャンスなのでは…
私の頭にふと「便乗」という言葉がよぎった。
あの盛り上がりの後に読まれたら、この記事は魔法か胡麻をかけたみたいに面白く読まれるに違いない。たぶん、よその子が間違えたブッコロリーあたりで笑えているはずだ。そうだそうだ。きっとそうだ。
無謀にも投稿を試みた。
もし笑えなかったらそれは、他の方の記事をまだしっかりとお読みになっていらっしゃらないからだと思われる。ぜひ、お読みになったうえで、じゅうぶんに気勢を上げてから再トライしていただきたい。