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ねぼ
地域猫なのである、ねぼは。
「ねぼ」は勝手に私たち家族がつけた名前で、ボランティアの方は違う名前で呼んでいる。でも、私たちにとっては「ねぼ」は「ねぼ」だ。
息子は、小学校を2度転校している。
1度目は、年齢が幼いことや、地域の雰囲気もあってすぐに学校に慣れ、友達がたくさんできた。
中学年になってもう一度転校することになったが、最初は、息子のオープンな性格からあまり心配はしていなかった。
ところが実際に転校してみると、地域の雰囲気が少し排他的だったことや、ギャングエイジと呼ばれる年頃ということもあり、なかなか、新しい学校になじめなかった。
息子は、見た目にちょっとした事情があって、からかわれたり、ちょっかいを出されやすい。言い返すのですぐケンカになる。でも、後に引きずらないのでケンカした子とも仲良くするし、陰湿な嫌がらせには断固戦う姿勢を見せるので、幸い、いじめられたことはない。
それでも、2度目の転校は、息子に孤独の味を味合わせた。前の学校や友達をよく懐かしみ、寂しがることも多かった。泣きながら帰ってきたこともあるし、遊び相手がいないと、つまらないと家で不貞腐れることもあった。
そんな息子を慰めたのが、登下校の途中でみかける猫だった。
寝ぼけたような顔をしてるからと「ねぼ」と呼び、「今日、ねぼがいた」「おじさんにご飯をもらってた」「ねぼが寝ていた」と、しょっちゅう、話題にした。
ねぼは学校裏で寝ていることが多かった。
川沿いの学校だったので、川と学校の間の桜並木の近くの草むらが、ねぼの居場所だ。
ねぼはお世辞にも「可愛い」猫ではない。
見た目にあまり可愛らしくないからか、捨てられて、子猫の時にボランティアの方に保護された。
去勢を受けて、川沿いのエリアでボランティアの人に面倒をみられながら「野良」として生きている。
耳が少し欠けているのが地域猫の証だ。
睨んでいるような目つきだが、子猫の時に目に病気があったのに、ケアをしてもらえずにきちんと治らなかったからだ、とボランティアの方が言っていた。その方によると、推定年齢4歳くらい、という話だった。
息子は、毎日、ねぼを気にかけた。
そのうち、夫も「ねぼ」と呼ぶようになり、写真を撮ったり、通勤の途中で見に行ったりするようになった。
受験を意識するようになったのも、この地域にあまりなじめないのであれば、心の故郷になるような中高一貫校に通うのもいいのではないか、という気持ちが芽生えたからだ。
家族で相談し、受験することに決めて、それから毎日、隣の駅にある塾に通うことになった。
息子は、塾の帰りにねぼに会うのをとても楽しみにしていた。
塾が終わるのはとっぷりと日が暮れた夜だ。時にはくじけそうになる気持ちを奮い立たせるために、ねぼを呼び、ねぼに声をかけて、力を分けてもらっていたのだと思う。
私は、実は少し、懸念していた。
ボランティアの方に丁寧に面倒を見てもらっている「ねぼ」だが、野良には違いない。野良猫の寿命はそれほど長くないと聞いていた。平均寿命は4年ほどだという。
出会った時にはすでに推定4歳だったねぼにこれほどに思いをかけていたら、万が一ねぼになにかあったときに、息子は大変な衝撃を受けてしまうのではないか、あまり親密に関わらないほうがいいのではないか、と思っていたのだ。
だから、世話をしたがる息子を押しとどめ、ボランティアの方にお任せするように、と諭した。実際、日に何食かをしっかり食べているねぼは、他の時間には寝ていて、あまり活動的ではない。人間に寄ってきて愛想を振りまくような猫でもない。
親の心配をよそに、ねぼと、ねぼのお世話をしているボランティアの方とも親しくなっていく息子。ボランティアの方も、息子の顔を覚え、親しく声をかけてくれるようになった。ねぼも、ねぼ、と呼びかけると、かわいらしい声で、みゃぁ、と鳴いてくれるようになった。
私は、身勝手ではあるけれど、せめて受験が終わるまではねぼが元気でいますように、と祈っていた。
あれから5年。
息子はいつの間にか小学校や塾でたくさん友達ができたし、ねぼは息子の受験が終わっても、変わらず元気だった。
小学校を卒業してからまた引っ越すことになったのだが、引っ越し先が比較的近隣だったので、時々ねぼのところに様子を見に行った。
今でも、時間のある時はねぼのところまで足を延ばす。
ねぼがいるのを見ると、ほっとする。
ねぼがいないと、心配になる。
一度だけ、ねぼが行方不明になったことがある。
ある時息子が様子を見に行くとねぼがいない。それだけならよくあることだが、近くに「猫を探しています」というボランティアの方の手書きの張り紙がしてあった、という。
そのときは「いよいよか」と覚悟したが、その後、ちゃんと戻ってきた。
私たちもしばしば様子を見に行った。
張り紙が無くなって自転車置き場の向こうにねぼのサッカーボールの模様のような丸い身体を見つけたときは、心底安堵した。
もうすぐ高校生になる息子は、友達との付き合いや部活に夢中で、ねぼのことは前ほどには熱心に話さない。息子にたくさんの友達ができ、自分の居場所を見つけたことは喜ばしいことだが、少し寂しい気がする。でも、寂しい気持ちを味わえるほどまでに、ねぼが長生きして元気なのは、良かった、と思う。
今のところ予定はないが、私たち家族は、もし犬や猫を飼うのなら絶対に保護犬・保護猫を飼う、と決めている。
ねぼにはいろいろなことを教えてもらい、いろいろな願いや祈りを受け止めてもらっている。
今もだ。
もうすぐまた冬が来る。
暑い夏は「ねぼ、だいじょうぶかな」と思い、冬が来れば「寒くないかな」と思う。
私たち家族の暮らしは、ある意味「ねぼのいる暮らし」だ。
飼ってはいないが、心の中にいつもいる。
元気でいてくれますように。
この冬を、乗り越えられますように。
今年もまた願いをかけるわたしたちなのだった。
※サムネイルはねぼの後ろ姿。