ほどよい頃合いに、過不足なく
このところ、人と会う機会が増えた。
自分を含めた周囲の人々が、実際に会い、食事をしたり、お茶をしたりして会話をすることに慣れて来たな、という実感がある。
コロナ禍でもお茶やランチを普通にしてきた人もいれば、いままで我慢してきたけど、もうさすがにそろそろいいんじゃないか、という人もいて、私は後者。
最初はおそるおそる、でも最近はずいぶん外食に慣れてきた。
慣れてきた、なんて、いかにもランチ慣れしていない風に言ってみたが、昔はひとりランチが家計に響くほどだった。ぼっち上等なので、かつてはほっとくと普通に『孤独のグルメ』をしてしまっているクチだった。
ちょっとメンタルを痛めてそのままコロナ禍になったため、長いこと外食から遠ざかっていた。
節約と体重という点においては、今はバランスがいいともいえる。
最近は子供の学校行事もほぼ通常通り行われることが多くなった。
ということは、子供が学校に入学してから初めてリアルで会う方もたくさんいる、ということになる。
しかし今更ながら、私は気づいた。
自分が非常に自己アピールが下手だということに。
私は、書くとこうして饒舌だが、口は重い。
1対1で気心が知れているならまだしも、初対面の人や久しぶりに会う人が大勢いると、緊張してしまう。
若い頃はそうでもなかったのだが、人は変わるものである。
「はじめましてランチ」では、すっかりおとなしく座っているばかりとなった。
人の話を聞くのは好きだ。
特別隠し事をしようと思っているわけではないし、話のテンポについていけないわけでもない。
でも名乗ってから後の自分の話がどうもうまくできない。
特に、多人数となるとお手上げだ。
人数が増えて行けば行くほど、「Aさんが話してるターン」「Bさんのターン」「Cさんが話し終わったら、その時話そう」などと思って、タイミングを失う。さらにママ友が3人以上になると、会話は同時多発的となり、より糸口が見つけにくい。
盛り上がった話題に入るスキを伺っていて、口を開こうとしたときにスルリと話が移ってしまったり。
人に話を振ったり誰かの話を大きく盛り上げすぎてしまい、結果的に、自分のことはほとんど話さなかった、ということも多々ある。
比較的親しいママ友さんたちの仕事や趣味を私は言えるが、彼らは私のことを、たぶんほとんど知らない。
かなり親しくなってしまえば、こうした文章のように熱く語ってしまうのだが、そこに行きつくまでが長いのだ。
初対面でも、自分のことを上手に話す人がいる。
ほど良い頃合いに、過不足なく。
ちょっと気の利いた笑いを入れて。
憧れる。
そういう人に、私はなりたい。
きっと、どこまで自分を開示するか、なんだろうなと思う。
子供のこと、仕事のこと、家のこと、夫のこと、義実家のこと、昔のコイバナ。「そんなことまで言っちゃっていいの」ということを、軽やかに話しているのを聞くと、私は「言う必要なし」と自分で決めつけていることが多いのだろう。
ときおり、ふいに差し込まれる言葉が刺さってしまうことがある。
同じ人に一度に言われた言葉ではないが、「私って無趣味で視野が狭いと思われているんだ」、と思った。
こんなふうに言われてしまうのは、私が自分のことをうまく開示できていないからなんだろうと思う。
そもそも「語るに値する自分なのか問題」というのもあり、それは別件で悩ましいのだが、親睦を深めるためにお茶しましょう、とか、部活やクラスの、という避けるに避けられぬ場面で「自分とはなんぞや」だとか「話すほどのことはございません」などとは言っていられない。
初対面でもできれば「バカボンのママ」という情報以上の何かを付加したいところなのだ。
どう思われようと、とつい最近まで思っていたが、世の社交的な人々を見るにつけ「自分のことをさらりと話せる人っていいな」と思うようになった。
特に年齢を重ねると、周りには年下が増え、じっと黙って待っていれば向こうから積極的に話しかけてくれる、なんてことは無くなる。
年齢の違う集団なら特に、どんな人かということは気になるところだ。
自慢話や長い自分語りはごめんだが、私はさすがにもう少し、ほかの人に自分のことを知ってもらう努力をするべきなのかもしれない。
年齢からしても、なかなかなじめない人をさりげなくサポートできるような余裕があってもいいくらいだ。
限られた時間に、よいタイミングで、ほどよく自分を伝える。
これがいまのところ、私のひそかなチャレンジ案件になっている。