鎌倉ほのぼの散歩 十五番「向福寺」/十四番「来迎寺」
九品寺を出た時点で、なんかこの近くにおそばの美味しい店があるはずなんだよ、と空ちゃん。ほんと、空ちゃんのリサーチ力はすごいのです。
えええ、それは行ってみたいではありませんか、ということでググりつつ探したところ、かなり近いところにありましたありました。
郵便局の近くの「梵蔵」さんというお店。ちょっと目立たないけれど、いかにも美味しそうな、雰囲気のある入り口。
が。しかし。近づくと嫌な予感。閉まってる!
「あああ。そうだ、今日は水曜日だ」
と、空ちゃん。そう、定休日でした。正直材木座方面はなかなか足を延ばせない場所でもあり、最寄り駅は和田駅でそこから10分。かなり悔しい思いをしながらも、また次回!今度絶対!と誓い合い、そこを離れました。
ところがですね。本当に人生、一期一会なんですね。その後このような新型感染症のご時世となり、私たち自身もお参りに行けなくなったというだけではなく、今回調べたところなんと鎌倉の「梵蔵」さんは閉店されたとのこと。静岡の方に移転されたようです。残念。また次回、というのは叶わなくなってしまいました。そのとき行けなかった、というのが逆に心に残るお店となりました。
運命の歯車。
そう。実はここからが、「鎌ほの」史上最も思い出深い「ナビ子事件」の始まりだったのです。
残念な気持ちを振り切るように「向福寺」を目指した我々。この日は暑かったうえ、結構歩いているので、お腹が空いています。サクサクっと回って、鎌倉駅近くで何か(というか、この時点でかなり蕎麦の気持ち)食べたいね、などと話ながら、バス停でいえばひと停留所ぶんほど歩きました。
地図上は、さして複雑な道のりではありません。バス停「五所神社」下車徒歩1分、入り口はほぼ目の前とガイドブックにも書いてあります。
「10メートル先、左折」というナビ子の指示に従って曲がればすぐお寺だと思っていた私たち。バス停もあったし、徒歩1分なのに、行けども行けども何もない。あるのは民家だけです。
「あれ?なんか、お寺がないね。おかしくない?」
ということで、もう一度ナビ子を起動。するとちょっと戻ってまた左折、という。その通りに行くのですが、お寺は影も形もない。いや。影や形はあります。どうやら塀に囲まれた内側がお寺のようです。お墓の影も見えます。
「なんか裏にいるね、私たち」
ということで入り口を探すものの、裏口とみられるようなところは行き止まり。入り口が全くないのです。
そこからはどういうわけかワンダリングロード。今から考えると「なんで?」というくらい、迷ってしまいました。ナビ子はしまいには「ここにいます」「ここです」を繰り返すばかり。
ナビ子を諦め、もう一度戻って、またやり直して、を繰り返したのですが、いっこうに入り口にたどり着きません。
「あのお墓のあるところがたぶんお寺だから、ぐるりと周囲を回れば入り口はあるはず」
ところが、回りこもうとすると民家にたどり着いてしまってぐるりと回れません。なんだか、キツネに化かされてるってこういうこと?という気持ちになりかけました。いや、最初に化かしたのはキツネではなくナビ子なんですが。
結局バス停に戻ってみようということになり、バス停に立ってふと進行方向を見ると、なんですか、つい目の前に、お寺っぽい門構えが。
「うぉ~、あれじゃないの?あんな近くに。あんなわかりやすいとこに」
と顔を見合わせつつ、向福寺さんに到着。私たちは向福寺さんの裏手をただ、ぐるぐるぐるぐる、周回していたことになります。やはり最初に曲がった場所が悪かったのでした。
念のために申し上げておきますが、そんなにわかりにくい場所では決してありません。
な、ナビ子ぉぉ!
いやいや。ナビ子のせいばかりにはできないね。ちゃんと地図を確認すればよかったね。という話にはなりました。
さて、向福寺さんのように時宗のお寺は、先日お休みで御朱印をいただけなかった「光触寺」のように、どこかそっけないほどの素朴さが魅力です。というのも開祖一遍上人は「遊行僧」であったために寺院の建立や教団を作ることをしなかったからです。一番弟子の真教上人が人々の要望に応えて寺院を作り、教団を整えたとされています。江戸時代以前は「時衆」、江戸以降は「時宗」となりました。
小ぢんまりとはしていますが、綺麗なお庭を抜けると、古いお堂が。右手に玄関があるのでそこで声をかけると、お寺の方がお堂を開けてくださいました。閉まっていた戸が開くと、沢山の瓢箪のお守りやお札などがズラリと出てきて壮観でした。
向福寺さんは、1282年に一向上人によって開かれていますが、関東大震災時に大津波で被害に遭われたようで、その際に寺にまつわる資料を紛失してしまっているとか。
お寺の方に「今日は本当に暑いですねぇ。お疲れさまです」とねぎらわれ、その優しさに若干涙目になりました。いやあの。非常にわかりやすいところで迷ってしまいまして。とは言えませんでした。
じっくりお参りさせていただき、向福寺さんを後にしました。
次の来迎寺さんは、バス通りを渡ってほぼまっすぐ行けばたどり着くところです。こちらも時宗のお寺。
実は鎌倉にはふたつの「来迎寺」があります。
材木座の「来迎寺」は、源頼朝が1194年に武将三浦大介義明の冥福を祈って建てた能蔵寺という寺があった場所で、もともと真言宗でしたが、開山した音阿上人が時宗に改宗したため、来迎寺と改めたそうです。十四番札所。
もうひとつは西御門にある「来迎寺」。こちらも時宗のお寺ですが、1293年に鎌倉の大地震で亡くなった人々を供養するために一向上人によって建てられたお寺です。こちらは第五札所です。
今回向かうのは材木座の「来迎寺」のほうです。
こちらも実に静かな佇まい。ご不在のため、置いてある御朱印の紙を持ち帰るセルフサービス御朱印でした。
さて、少々欲張った感じのすべての行程が終了です。その時点で14時半を回っていました。
鎌倉駅に戻り、お腹が空いていたものの、もうランチをゆっくり取る時間は無く、鳩サブレ―で有名な豊島屋さんのパーラーで喉の渇きだけ潤すことにしました。
こちらの「扉店」さんでは、喫茶の他に軽食もあります。鎌倉駅の、小町通入り口近くにあり、1階は焼き立てパンなども売る売店、3階が「パーラー扉」になっています。
昭和レトロな雰囲気で、人気のお店です。特に年配の方が落ち着いて食事をしたいときに入りやすい雰囲気です。軽食はオムライスなどが人気のようで、お隣やそのまたお隣の方もオムライスを注文してらっしゃいました。
メニューを見ると、若干お高いものの、美味しそうな軽食がズラリ。特に私たちの目を引いたのが「一口かさね(三段重)」です。
いつか必ず食べましょう、と誓いつつ、その日は解散。さすがにこの日は、歩き疲れました。
お疲れ、私たち。お疲れ、ナビ子。
さてここまでで、鎌倉三十三観音様参りは4日目。十六か所のお寺を回りました。残り、十七か所。だいたい半分です。
次はこちら。