春眠
春 眠 不 覚 暁(春眠暁を覚えず)
処 処 聞 啼 鳥(処々啼鳥を聞く)
夜 来 風 雨 声(夜来風雨の声)
花 落 知 多 少(花落つること知る多少)
中学に入ったときに、初めての漢文の授業で習うのが確かこの孟浩然の『春暁』だった。
五言絶句。五文字の漢字を、四列で表わす中国の詩。
うっかり間違いやすいがタイトルは『春眠』ではない。『春暁』。
中学の国語の教科書は、小学生までの字が大きな教科書と違い、分厚くて字も小さくなり、漢文や古文も入っていて急に大人になったような気がした。
習う季節は春だったかどうか覚えていないが、今から思えば漢文も古文も、最初の題材は『春暁』や『枕草子』、『竹取物語』の冒頭など、極めて易々と読めるものばかり。ただとにかく新鮮で、レ点や押韻などにすら胸ときめかせたものだった。そのうちに複雑なルールや格変化が出てくるとたちまちお手上げ状態になり、面倒な教科のひとつとなってしまうのだが。
そんな懐かしい『春暁』。
私は手前勝手な日本語訳をするのが好きで、教科書の原文に忠実な堅苦しい訳文にはなにか不満を抱くのが常だった。
みたいな現代訳を考えては悦に入っていた。
中国の詩なのに雨で散ったのが「桜」とは、完全にジャパナイズされまくった訳だが、そのほうが断然親近感がある、と思っていた。
そんな感じだから勉強なんて遅々として進まず、淡々と暗記すればいいところをかえってメンドクサイ感じにして、なおかつ正確な文法を覚えられずにどんどん拗らせていった阿保な中学時代を送った。
それでも『春暁』は眠気と戦う中学生にはガッツリと刺さり、今でもこんな季節には思い出し口ずさんでしまう。
大人になってから、孟浩然が科挙に落ちまくって生涯官職に着けず、各地を放浪する人生だったことを知った。書いてあるものによっては、本人が何物にも寄らない漂泊の人生を望んだのだという説や、試験に落ちまくって可哀そうな人生だった説などいろいろある。あまり資料がないのも想像力をかきたてられるようだ。
当時の科挙はコネやカネや身分がモノを言い、地方の出身者など50歳でようやく合格するかしないかのような過酷なものだった。詩人として活躍するにも官僚にならないと、という時代。なにしろ中央集権国家だ。皇帝のお気に入りにならなければ詩人として食べていくことは不可能なのに、せっかくチャンスが来てもそこに背を向けるような行動を取ることが多かったようだ。
時は唐の最盛期、玄宗皇帝の時代。最澄と空海が渡唐するちょっと前。
とにかく義に篤い人物だったのは確かなようだが、ちょっとロックテイストがある人だったのかもしれない。
51歳でこの世を去った。
立身出世叶わず定職につかずに生涯を閉じたのだとしても、すくなくとも1000年以上経っても世界中の人が共感できる偉業を成し遂げた。
朝方の寒さが和らぐ春はただでさえ眠い。
中高生というのは、成長期なので特に眠い。
お腹が空いているか寝ているか。それしかしたくないと思うほどに、身体が変化しているサナギの時期だ。
私も中高生時代はそうだった。なんとかやっと起きて学校に行っても、1時間目や2時間目の睡魔との闘いは壮絶だった。
今は息子がその中高生である。
朝起きられない。寝ている。腹立たしいほど寝ている。蹴っ飛ばしてやっと起きるが、起きてきてまた寝る。腹減ったと何か食べてはまた寝る。
今も春のうららかな光の中にソファに長々と横になった息子の寝顔がある。まさに春暁を絵に描いたようだ。
春休みだからゆっくり過ごすのもいいけど。
もうすぐ進学するんだからね。
新学期になったらこうはいかない。
頼むからいろいろ覚醒してくれ。
昨日見た少し葉桜になった桜の木の下にちりばめられた花びらを思い出し、意味不明な漢詩を作ってなんとか怒りを鎮めた。
花の命も短いが、人生も短い。
この贅沢な眠りも、いつまでもというわけにはいかない。
今日は入社式の会社も多かったと聞く。
学生生活が終わって、旅立つ春。
羨ましい春眠をむさぼるこの息子が、何年後かの今日の日に、ちゃんと入社式に間に合うように祈るばかりだ。
いや、ほんと、マジで。
覚醒してくれ。
頼む。
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