Fan letter 1 燃えよ☆カムシン
シミルボンという読書サイトがある。
これがもう、我こそはという読書人が集うサイトで、ちょっと寄ってみるかと思って開いたら読書好きはあっという間に沼にハマる。そんな場所だ。
シミルボンは、こちらの本を読んだときに偶然知ったのだったと思う(この本についてはいずれまた書きたい)。
私は今シミルボンには何も書いていないのだけれど、そこでは登録していなくても通りすがりに「いいね」が押せる機能がある。
私の書いた拙い記事の中で、その「通りすがりいいね」が最も多いのが、神坂智子さんについて書いた記事だ。
その中で、「神坂さんの『巻き毛のカムシン』という話が好きだ」と書いた。
カムシン、というのは、砂嵐のことだ。Wikipediaには「ハムシン」と載っていた。
神坂さんの漫画では、カムシンは10人いる「テングリ」という神様のひとりで、きょうだい神の6男だったと思う。長い巻き毛が特徴で、神坂さんのオリジナルキャラクターだ。上記のような砂塵嵐を伴う高温の風をつかさどる神として登場した。
テングリたちは、シルクロードに時を超えて存在するとても感情豊かな神様たちで、人間世界に影響を及ぼすことは滅多にない。自然神のように、どちらかというと「見守る」だけの存在だ。とはいえ、害をなすものや不遜な人間には罰を与えたりもする。
カムシンは人間の娘に恋をして、彼女が老いて死ぬまで添い遂げる。
この話が、私はことさらに好きだった。
初めて藤井風さんを知ったとき、私はこのカムシンを思った。と言うか、テングリのように何か超越的な存在にに愛されてる人なんじゃないかと思った。
一陣の風。
風雲急を告げる。
漢詩で誰か、うまく作ってくれないかと思う。彼の登場は私にとってそんな感じだった。
風は風でも不思議な風だ。雰囲気は、砂嵐と言うよりはそよ風のようだ。でも、ただ穏やかで優しいだけではなく、『星の王子様』みたいに目に見えない大切なことに気づかせてくれる力がある。
彼を知って以来、人に散々薦めまくり、ことあるごとに話してきたので、今では母でさえ「ほら、あの、あなたの好きな人がテレビに出てる」と教えてくれるほどにまでなった。相変わらず、名前は時々間違うが。笑
もれなくブログにも書いている。👇
この記事にも登場。👇
その藤井さんが、セカンドアルバムを出す。
どうして彼の歌にこんなに心惹かれるのかなと考えてみた。
ジャジィなピアノももちろん魅力に溢れているのだが、もしかしたら、「視点」が新鮮なんじゃないかな、と思う。
普通、人と人との関係というのは「自分」がいて、「あなた」がいて、「彼ら」がいる。一人称、二人称、三人称で表現されるものだ。
そして恋はたいてい「自分」と「あなた」がするものだ。
「自分」は「あなた」を見つめるし、目が離せないし、「あなた」のことばかり考える。振り回されたり、傷つけあったりする。
藤井さんの歌詞には「自分」と「あなた」の間に「もうひとりの自分」がいる。恋をしても、していなくても、もうひとりの自分が温かくも冷静にそこにいる。俯瞰や鳥瞰もあるし、自分の内部をその人とみつめていることもある。客観のようでもあるが、どことなく実体的な存在感がある。
「その人」は、ただ見守る存在だ。自分に対し、呆れたり忠告したりすることもある。「自分」は「その人」に、抗ったり、頼ったり安心したり、闘ったりもする。
その存在の仕方が、すごくカムシンっぽい(超・個人的感想)。
神坂智子さんの物語は、こうだ。
舞台は中央アジアの草原で、風に乗って遠くまで来たカムシンはひとりの少女に出会う。他のテングリは、人間に恋したところで、彼女の命には限りがある、悲しい思いをするだけだと心配するが、カムシンと娘は共にいることを選ぶ。
カムシンに見初められ、生涯ともに暮らす女性は、他の人から見るとふだんはひとりで暮らしているように見える。結婚もせず、変わり者だと思われている。でも彼女はカムシンと暮らしているので独り暮らしだとは思っていない。
テングリなので、夫は年を取らない。女性だけが年をとって行く。でも彼女はいつも幸せそうだ。人間の人並みの暮らし、のような常識など彼女には無意味で、生涯カムシンとともにあることに幸福と喜びを感じている。女性にとってそれは信仰というよりは、あくまでも夫と添う幸せなのだ。だから彼女は穏やかで、いつも笑っている。
いつしか彼女に老いと死が訪れ、妻を失ってカムシンは泣く。
砂塵嵐が激しくなるたびに、他のテングリや人々は「カムシンが泣いているのだ」というのだった…
確か、そんなお話だった。
藤井さんも、きっと二十三年か二十四年生きた同じ年の人と、同じように年を取って、同じように悩み葛藤しているんだろうと思うが、どうも若干の超越を感じてしまう。音楽的なことは私にはわからないが、転調の多い楽曲は耳に残り、新鮮な驚きに満ちていて、五十すぎた私が聴いても説得力のある歌詞は、心を掴む。
スピリチュアルっぽくて嫌だという人もいると聞く。まあそれはそれだ。人の好みはそれぞれだ。私はカムシンとその妻の物語を愛していたので、カムシンに愛されているような藤井さんの存在がとても興味深いし、心惹かれる。
今は、前のアルバムの歌詞が頭の中で反芻されている。
今回のアルバムには「旅路」という曲も入っている。ちょうど昨年の卒業シーズンに出た歌だ。
「燃えよ」は、一度頭に浮かぶと、頭から離れない。今目の前にあることを頑張ろうと思える。
Disc2には、カバー曲が詰まっているらしい。
藤井さんが動画配信をしていたころ、歌いに歌いまくった歌だろうし、動画配信では発表していない曲もあるだろう。
発売前に聴けた新曲は「まつり」という曲だ。
それにしても、今は風の時代と聞くけれど、時代の変わり目に藤井風とは見事なマッチング。あ、でも、将棋のこともあるし、もしかしたらむしろ「藤井の時代」なのかも。笑
待ち遠しかったアルバムは、今日リリースだ。