practice 6 眉宇
昭和のころ、私が通っていた田舎の中学校では「前髪は眉毛の上」という校則があった。理由は「前髪が邪魔だと勉強に集中できないから」。生徒たちはそれを「オン・ザ・マユゲ」と呼んだ。
先生が定規で前髪やスカート丈を測る。いわばパフォーマンスだが、思春期の子供は当然、反発しか感じない。
時はヤンキーカルチャー全盛期。「不良」と呼ばれる生徒は授業をサボり、学校の窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走り出したりしていた。先生たちも色々と苦慮していたのだろうとは思うが、今思い出してもやりすぎ感が否めない。
私はくせ毛で分け目もあり、前髪には悪戦苦闘した。解決策としては、ワンレングスにしてピンなどで留めるという手もある。しかしそれは「前髪を伸ばしている」ということになるので却下。ヘアアクセサリーは華美になるからダメ。
当時、生徒は教師においそれと意見などできなかった。男子は球児、女子はチコちゃんみたいな髪型が「理想形」で、髪型だけではなく、全員が金太郎飴みたいに似通った存在であることを望まれていた。
最近は「女子の制服がスカートだけなんておかしい」という声に耳を傾け、ちゃんと議論できる時代になってきて嬉しい。固定観念に縛られず、話し合う余地があるのはいいことだ。話し合いには相手に対する尊重が不可欠だからだ。
さて、当時の私はあの校則がどんなものだったら納得できただろうか。そんな校則無くていいとも思うが、あえて言うなら「ゴムで結んでよし、ただし黒いゴムのみ」「ピンの使用可、ただし安全を考慮したもの」…。
「規律」「規則」の常として、個別の要望が多ければ細則を作らざるをえなくなる。それがだめなら一律に禁止。その加減が日本人には苦手分野だという気がする。禁止というのに「まあまあ」とグダグダだったり、闇雲に取り締まって警察みたいになりがちだ。
強硬な校則の押し付けは反発を生む。自由であろうとすれば自由とぶつかる。多様であろうとすれば多様とぶつかる。必要なことと不要なこと、守るべきことと変えるべきことをどう吟味するか。なによりも「問題にする意識」が大事だと思う。
多様化の時代、これからの校則は、価値観や倫理観が、学校においても、個人においても、問い直されていくのだろう。
それは校則だけではなく、世界を取り巻くあらゆることに等しく言えることだという気がする。