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時間の流れ その間(ま)の神秘

昨夜、愛猫承が、久々にうんぴー事件を起こした。

かまってはいても、自分にまっすぐに意識が向かっていないと不満なのだ
猫と一緒に暮らすまでは、なんとなくクールなイメージがあったため、
これほどまでにまっすぐな愛情を求め、そして与えてくれる生き物だとはまったく想像していなかった。

承は基本的に猫格者だ。
不満があっても、噛んだり、引っ搔いたりということはまず、ない。
暴れたり、ものを壊したりすることもない。

朝ごはんの催促も、ベッドのなかにいるわたしに前足でそっと控えめに触れるだけ、夕食のタラの催促もトレーのまえに静かに座っているだけである。
待ちきれなくなると、切ない声で鳴くけど 笑

爪切りもかなり以前に一度だけ、腕を引っ掻かれただけだ。
以前も、今もシャンプー時には前足でバスタブにつかまって立ってくれて、素直にさせてくれる。(もちろん疲れると、離す)

自己主張のために、噛んだり引っかいたりは野蛮なこと。
不満は、うんピーでさりげなく表現するのが、本猫のポリシーらしい。
是非とも改定してもらいたい、ポリシーではある。

ただ周囲に愚痴っても、「ストレスは発散しないと体に悪いよ。。そうやって発散できるのはいいこと」とみんな承の味方である。

承が問題行動を起こすのは、以前も今もわたしが過去や復讐にとらわれているときである。

わたしは無駄に記憶力がいいので、まるで昨日のことのように、
その瞬間の空気のひかりの色までが鮮やかに蘇り、感情が抑えられなくなるのだ。

もちろん感情が抑えられなくなるといっても、なにか現実にアクションを起こすわけではない。
(自分とは無関係に自滅してくれれば、素直にとてもうれしいとはおもうが)
せいぜい呪詛返しのサイトを覗いてみる程度で、それらはおどろおどろしさ、あやしさ満載で、もちろん利用するつもりなど一ミリもないが、なぜかちょこっと見るだけで、安心するのだ。

「時間は未来から過去へ流れている」
何度か聞いたことがあるフレーズである。

今日note内でもこのテーマの記事を見つけて、拝読した。
軽やかに、腑に落とされている次元の違うエネルギーが伝わってきた。

わたしには、過去、現在、未来すべてが同時に存在している感覚がある。
この感覚は、幼少期から一貫している

感覚的なものはほんとうに強くて、自分のなかではそれが絶対であるし、
覆すことはむずかしい。

ただ、承がおかしくなるのは、わたしの状態がおかしいからなのだ。
自然法則そのものを生きる承がおかしくなるのは、わたしの在り方が自然法則から外れているということだ。

他者を変えることはできない。
もちろん、許す必要も一ミリも感じない。

「時間は未来から過去へ流れている」
その視点を意識するだけで、なにかが変化していくかもしれない。
視点を変えるだけで、拾えるもの、見えてくるものがあるからだ。

「猫に叱られて、自分を改めるって恥ずかしくないの?」と聞かれるが、
わたしは承を尊敬しているので、まったく恥ずかしくない 笑

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