自衛隊と靖国参拝。日本軍の関係性と問題とを踏まえて
2024年1月、能登半島で発生した地震の衝撃も収まらない中で、陸自の高級幹部らが靖国神社にて安全祈願を行う予定を立てたところ、その交通手段として公用車を用いようとした為、処分を受けるという事案が発生しました。
この際に、昭和38年に達せられた「宗教行為に関する通達」に接触するのではないかとして、宮古島で行われていた陸自隊員らの神社への参拝も抗議が行われるという流れになり、更に2月には毎年5月頃に行われている海自練習艦隊参加者の靖国参拝に関しても、海上幕僚長の弁解の後に、防衛大臣より事実関係の確認が求められるという事態になりました。
何故、自衛隊と靖国参拝は問題となるのか?
自衛隊と日本軍との関係性を踏まえつつ考えてみましょう。
1,自衛隊と靖国参拝何が問題か?宗教行為とは?日本軍との関係性は?
まず、そもそも自衛隊の靖国参拝の何が問題なのか?
これに関しては、靖国問題の未解決という課題が大きなポイントになっていると言えます。
特にA級戦犯の合祀に関して、周辺諸国、特に中韓からの抗議にある様に戦争犯罪を犯した者が他の戦死者と共に祀られているというのが納得できないという声です。
他国であれば墓地が宗教的慰霊施設でもある訳ですから、個々人で分けてという事も出来るという違いもあるでしょう。
もう一つは、もともと国家神道の流れとして出来た神社故に、第二次世界大戦前の大日本帝国の政治的意図を強く受けているというのがあります。
それに伴い、靖国の崇敬は戦前回帰を意図させるという意見もある訳です。
そして、第二次世界大戦において、日本軍はその独断専行などにより戦争拡大を招いた存在として批判されています。
そこから「悪の組織」として戦後の国防を担う組織が関係するのは良くないとする意見もあります。
実際に、自衛隊の前身である警察予備隊は、日本軍関係者を排除し、警察官僚らが主体となった軍警察的な、日本軍との決別を前提にして誕生した組織でした。
一方で海上自衛隊の様に、創設時から日本海軍との連続性を定めた組織もあるので、ここは一枚岩ではないという事に注意が必要です。
この日本軍の大戦における責任問題と、その責任者たちを祀る靖国神社の問題は未解決であり、問題を抱える状態が続くなかで参拝を、震災の直後という目立つタイミングで行ってしまったというのは、陸自幹部らの世間体に対して視野と判断力がないという批判を浴びてしまうのも当然と言えるでしょう。
勿論、海自の様にほぼ毎年制服参拝しては、度々問題になる組織もあるのですが、ここは「組織として明確な回答」を持っているかがポイントになります。
次に宗教行為に関して考えてみましょう。
先に問題として定期された「宗教行為に関する通達」を考えてみましょう。
この通達は過去に廃止改定された「宗教行為に関する通達」と「宗教的活動について」という二種類の通達がありますが、原則的な内容はそれほど違いがあるものではありません。
ここで問題とされているのは「部隊として」「自衛隊として」宗教に係る行為を主催しない、強要しない、施設を設けないという点に尽きます。
主として意図しているのは、靖国問題などではなく、「特定の宗教団体に自衛隊が組織として取り入らない、逆に取り込まれない」という点にあります。
特に宗教的施設の部分を取り上げていくと、海自の艦内神社などは非常に存在が危ぶまれるものになりますが、日本の海に関わる仕事でそれを否定するのは非常に難しい問題である事も考えると、宗教自体の排他と捉えるのは難しく、また隊員個々の信仰の自由は妨げてはならないとも明記されています。
これらを踏まえると、宮古島の件は、個々の意思で参加している限りは、通達に接触しているとするのは難しいでしょう。
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/f_fd/1963/fz19630731_00318_000.pdf
http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1974/az19741119_05091_000.pdf
ここまで書いている中で、靖国参拝は二つの問題があるのが分かります。
宗教的行為に関しては、あくまで「私人」として参拝する限りは問題とするのは難しいでしょう。
問題なのは日本軍と自衛隊の関係性で「組織としての回答」が明確にできていない事にあると思います。
2,日本軍の功罪
自衛隊と靖国参拝の問題点として日本軍の戦争犯罪問題がある訳ですが、そもそもとして日本軍の終焉を迎えるまでの20年間ほどの間に積み重なっていった問題はそもそも何が要因として起きてしまったか、またそれだけが日本軍の姿だったかを考えねばなりません。
ここで注意しなければならないのは、日本軍の罪を容認する訳ではないという点です。
例えば、ドイツはナチスを徹底して否定する事で戦後を迎えましたが、その反省は充分に行えているのでしょうか。
ここで問題なのは、否定する事よりも「何が問題だったか反省できたか」という点にあります。
当然、ナチスの犯罪は到底容認できるものではありませんし、良い点があったとしても許容するものではありません。
しかし、ナチスを生み出した民主政治の中で起きた問題を反省出来ているか、昨今のドイツ連邦の動向を思うと、軍内部のネオナチの流行などの問題は、ドイツ国民自身にあるのではないかと思う次第です。
本題に戻りまして、日本軍の独断専行の問題などは国民と軍、行政と軍の関係性の不健全性や距離感といった問題があったと思います。
特に、戦争を推し進める傾向にあったのは国民世論に大きく、この支持を取り付けようと軍が政治に大きく動いてしまう下地を作ってしまったと思うのです。
また、同時に日本軍が日清戦争および日露戦争で対外戦争に勝利しなかった場合、今日の日本の姿がなかった可能性が高い事も考えなければなりません。
加えて、特に陸自と海自に言える事ですが、自衛隊にも続く軍隊としての基礎的土台は日本陸海軍によって作られたという事は否定しようのない事実です。
それらの功罪を踏まえてどう引き継ぐか建設的に考えるべきだと常々思います。
罪だけを執り沙汰するなら、現在のイギリス軍・フランス軍は植民地支配の歴史もありますし、侵略の歴史もあります。
アメリカ軍も個々の戦争の流れを追っていくと、とても褒められたものではありません。
しかし、彼らの歴史的連続性は否定されるか?というとそれは難しいでしょう。
先のドイツも、ナチスを否定の材料として出せた結果、軍は伝統の連続性を保つ方向に進めています。
ナチスの先鋒として軍事活動の主体を担っていた事実は変わらずとも、その軍功は失われている訳ではないのです。(不名誉な活動は当然糾弾されていますが)
また、敗北の歴史、組織としての悪行の実績をもって否定しなければならないなら、自衛隊も相応に悪行の実績は積み重ねてしまっているのも忘れてはならないのです。
例えば、不審船追跡事件で、法の枷があるとは言え、当該船舶を取り逃した件。
これだけでもって組織全体の「その時だけでなく永久の」不名誉とするのは、どうなのでしょうか。
取り逃した要因の法的制限を課したのは国民の無関心だったのではないでしょうか。
また、その法の制約を無視して自衛隊が任務を全うしたとして、それは正しい行いだったと言えるのでしょうか。
「法を無視してでも国民の期待に応えろ」というのは、ある意味で日本軍の流れをそのまま踏襲する事になってしまうなと思うのです。
また、かつて日本軍は軍人勅諭の中で武士を否定して律令制の軍団に回帰する文言が謳われていましたが、新式の太刀型軍刀などにみられる武士道への同調が行われるなど、否定した文化の再来という現象が起きています。
一度否定したものでも、事の良し悪しはともかく、再び取り入れり事は出来るという事例でしょう。
3,自衛隊の歴史と新しい伝統
自衛隊の歴史はまもなく70年の節目を迎え、かつての日本陸海軍を超える年月を過ごした事になります。
これは一人の人間が人生を全うしたのと同じだけの年月ですから、その間に様々な出来事が起きている訳です。
この間、幸運にも戦争を実際に行う機会がなかった事は、日本国民にも自衛隊にも幸せな事であったのは否定できない事実だと思います。
その平和は、日米安保によって保障されるパワーバランスの中の平和でもありましたが、それでも自衛隊が国防の要を担い続けた事も否定の出来ない事実です。
また、冷戦の終結から国際情勢の変化に合わせて、国外では平和的なPKO活動、国内での活動は災害対処活動で人々に貢献してきました。
先の不審船事案で発砲出来ないが故に拿捕できなかった事をもって、「自衛隊が平和にやってきたのは嘘だ」という様な意見もありますが、少なくとも法を遵守し、武力行使を行う事で本格的な交戦にまで発展させて来なかった事は、個々の隊員の覚悟や無念を踏まえても、自衛隊の重要な歴史文化の一つと考えて良いでしょう。
また、過去の伝統だけでなく、新しい自衛隊が積み重ねてきた歴史に基づく伝統も誇ってよいと思います。
勿論、悪習として自衛隊から起きてしまった文化もあり、それらは一掃されていく必要があります。
自衛隊以前、そして以後問わず、これからも国民の為の組織である様に向き合わねばなりません。
特に、「国防は自衛隊がやってくれるから」と他人事となり、自衛官を英雄視するあまり「同じ国民の一員である」という事を忘れて持て囃すのは、かつての日本軍と同じ「国民との距離」を生み出し、「国民の武力組織」としての姿から遠ざけてしまう行為であるのを忘れてはならないのです。
4,伝統の引継ぎの可否
先にも書いた様に、かつて日本軍は軍人勅諭で武士を否定しながら、武士道精神に引き寄せられて取り入れていった歴史があります。
自衛隊は警察予備隊として誕生した時に、日本軍からの決別を示唆して創設されましたが、実際には海自の様に日本海軍との繋がりで誕生した組織も内包し、複雑な構造になっています。
そして、組織の歴史はその誕生目的がナチスの様に極端でない場合、個々の事象は反省しつつ、良い面は歴史として引き継いでいけると考えます。
特に歴史的連続性は、仮に組織として否定したくても、その存在意義から連続性を否定できないという場合があります。
その代表例が各国の軍隊であり、自衛隊も例外ではないと思う次第です。
5、陸自の場合と海自の場合、空自の場合の視点の違い
ここからは三自衛隊個々の視点でみた時の違いを考えます。
まず、空自ですが彼らは非常にシンプルな立場にあると言えます。
組織の構成員や基地は日本陸海軍から継承しましたが、軍種としてはかつてなかった空軍として生まれ、その組織文化や構成は、同じく誕生間もないアメリカ空軍に倣うところがあります。
つまりは、日本軍の流れとは全く別に生まれ、その影響を最小限に留めた組織なのです。
人員も陸海軍両方から迎えた事で、派閥的影響も最小限に済んだというのもありますし、新しい組織形成の為に過去の流れから切り離されたとうのも大きいです。
次に海自はどうでしょうか。
海自はその創設自体が、アメリカ海軍と日本海軍元メンバーの合同で創設されたY委員会から始まっています。
当初は海上保安庁の一部組織として生まれましたが、これも一時的処置であったのは明白で、誕生から日本海軍の後継組織を自任して生まれてきました。
軍艦旗と自衛艦旗の意匠が同じというのも、明確に意図して作成され、制定時に総理大臣だった吉田茂が「世界中でこの旗を知らない国はない。どこの海にあっても日本の艦であることが一目瞭然で誠に結構だ。旧海軍の良い伝統を受け継いで、海国日本の護りをしっかりやってもらいたい」と述べた事からも分かる様に、良い伝統の継承を意図して創設された、最も立場が明確な組織でもあります。
故に、「有志の自由意思で、制服参拝を靖国神社で行う」というのも、海上自衛官ならそうであるという個々の意識で行われ、海上幕僚長の発言につながるものと考えます。
最後に一番問題を抱えているのが陸自です。
陸自の前進は、日本陸軍との連続性を否定し、警察官僚らで創設された警察予備隊になります。
出自故に、どちらかといえば警察の伝統を組み、西南戦争の警視隊・抜刀隊の流れを汲む軍警察的な立ち位置として歩み始めています。
しかし、対外戦力への国防となると陸軍としての本格的な運用が必要となり、日本陸軍出身者の協力を得る他なく、部隊編成もかつての日本陸軍と同じ番号の部隊が、同じ様な土地で誕生し、部隊毎に伝統を引き継ぐ様になります。
ここで、組織全般としては日本陸軍を否定しながら、部隊や隊員レベルでは伝統を引き継ぐという歪な構造が出来てしまうのです。
この問題を解決するには、陸自として伝統を引き継ぐか、否定するのかという回答を導きだし、防衛省として公式な見解を出していくしかないでしょう。
6,何を反省しなければならなかったか
今回、問題として挙げられた内容は、更に個別の問題を入れると下記の内容になるでしょう。
a,私人として参拝したか?公的な立場で参拝したか?(靖国にせよ、日本軍との関係にせよ。)
b,公的な手段を用いたか?制服着用は良いのか?
c,問題となりやすい行為を行うべきだったか?
aに関しては、公的な立場での参拝は靖国との関係性や日本軍との関係性を問わず、「通達違反になるから、あくまで私人としての参拝」であるのがポイントで、これは陸自の場合も逸脱していません。
今回、海自の参拝に対する指摘を受けて木原防衛大臣は「集団参拝を行う事に関して、政教分離の観点から誤解を与える行為は避けねばならない」と述べていますが、ここで難しいのは、そもそも政教分離と言うものの安全祈願の為に団体となってしまった場合、それが個々の意思で仲間が集まったから行われた場合、私的行為ではなくなるのか?そもそも自衛官の行動が政治活動に当たるとなるが、自衛官は政治活動が禁止されている中、これを突き詰めると自衛官の参拝自体が政治活動になるのか?それは議員にも適用されてしまうのでは?という疑問があります。
誤解を与える行動を避けるのも、逆に海上幕僚長が明言する様に、私的参拝を行うと公示されていれば誤解を避けれるのでは?その公示自体が組織的な参拝をしているとなるのか?という部分もあるでしょう。
これに関しては、もう少し考えていく必要があると思う次第です。(誤解を与えない社会的根拠が出来るなら、解決する問題でもあるからです)
bに関しては公用車の使用がNGで、これは処分の対象となりました。
しかし、制服参拝に関しては民間と自衛官や軍人とで認識が異なるという事を注意しなければなりません。
民間では基本的に仕事の服装を礼装として着用する事はまずありませんが、自衛官は制服こそが礼装であり、冠婚葬祭の場で制服を着用する事も珍しくありません。
また、幹部は各人の意思で、曹士も部隊長の許可でもって制服を着用しての外出などが許されますし、本来通勤時は制服の着用が求められます。(都市部では過去の襲撃事件などを受けて私服が主体になっていたり、通勤の利便性の問題から迷彩服での通勤が許可されているケースもあります。)
その為、部隊長の許可が下りている以上は、制服での外出は違法ではありませんし、通達の求める部隊としての行為でもないので、これを咎める事は難しいでしょう。
cに関しては、今回陸自はミスをしたとしか言いようがありません。
過去に海自の制服参拝は指摘された事もありましたが、これに関してあくまで私的な行為であるとして説明してきました。
しかし、陸自は擁護も十分に行えず、また時期的にも批判を受けたら大変な時期に起こしてしまったという点は言われても仕方ないかと思います。
例年であれば、新年の参拝で済んだのでしょうが、地震の発災直後となると、せめて背広での個々の参拝とするなど、騒ぎになるのを避ける方針が必要でしたし、それを部内で計画し、ましてそれが外に漏れるという事態が発生した事の方が問題として大きい訳です。
今回の問題、自衛隊のアイデンティティや精神(エトス)を考え、日本軍との関係性や靖国神社の在り方も考えていく機会ではありますが、本当に反省すべきは「陸自の情勢判断力と情報保全能力」なのかも知れないなと思わされました。
今回も長くなりましたが、逐一加筆していくかも知れません。(詳しい情報などが抜けているため)
今後とも何卒お願い致します。
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