見出し画像

「推し」とはなんぞや

どうもこんにちは。だいぶ春めいてきましたね。周囲でも桜の開花の便りがちらほら聞こえてくるようになりました。桜の便りを聞くだけで……というか、桜の花やそれをモチーフとしたものを見るだけで、ちょっとウキウキしてしまうぐらいには、春という季節が好きだったりします(笑)。


さて、今回のお題ですが、「推し」という事象(作品、キャラクター、人etc.)についての考察です。最近ホントにこの「推し」というものについて考える機会が増えたので、自分にとっての「推し」って一体なんなんだろうな……というのを、ちょっと整理してみようかな、と。


プロフにも書いてるし、過去の記事でも触れてますが、かれこれ四半世紀近く、『スレイヤーズ』というシリーズを追っかけてます。今年原作刊行30周年を迎えるこのシリーズ、小説に始まり、コミック、テレビアニメシリーズ5作、劇場版5作、ラジオドラマというかCDドラマ2作、OVA、ゲームと多岐に渡る露出があり、一部では(?)「ライトノベル界の金字塔」とか言われてるとかなんとか。あたしみたいな根強いファンも多く、今年の1月中旬〜2月中旬まで開催された某アニメショップとのコラボレーションカフェでは、連日入店のための整理券が配られる有様。あたしもトータル5回は通いましたが、上には上がいるもんで、店内に設置されたコミュニケーションノート的な物には「来店7回目」というコメントを書いていらっしゃる方も。これだけで、その人気の高さたるや……というのが窺えるかと。

で、ですよ。件のコラボカフェでは、4種類のランダム性のあるグッズ(うち3種が非売品)が提供されていたのですが、最初は推しキャラさえ手に入れば……と言いながら、結局ランダム性のあるグッズ、全てコンプリートしましてね(←)。あ、ちなみに、1人で通い詰めてコンプしたわけじゃないですよ? ありがたいことに、コラボカフェ行くたびに誰かと一緒で、一緒に行く人と毎回2人でお金を落としまくってたら、気がついたらコンプ、もしくはコンプ一歩手前とかそんな状態になってたわけで。

あんまり具体的な数字を書いてしまうと、なんというか罪悪感がハンパないのでできれば避けたかったところですが、3,000円ごとに1枚ランダムでもらえるカード(全6種類)がコンプされているし、それ以外にもダブったのが確か2枚ほどあった気がするので、少なくとも5回通い詰めて、3人(あたし+付き合ってくれた人2人)で24,000円使っているのは間違いのないところで。というか、多分一緒に行った人たちの手元にも相当数のカードがあるはずなので、確実に24,000円以上使ってることは容易に想像できるわけでして。とある友人からは「頭おかしい」って言われましたが、まぁ致し方ないよね、と。むしろ「でしょう?」と嬉々として全肯定してしまうぐらいで←


こうやって自分が実際に体験して思ったのは、「本気で好きになったもの、ガチの推しには、あらゆるリソース(=資源)を割いてしまいたくなるものなんだなぁ」ということ。ここまで書いてきたのは「お金」というリソースについての話でしたが、そもそも「コラボカフェに行く」という行動に使っている「時間」というのもまた、自分の人生における有限のリソースだったりしますし、なんならコラボカフェに行ってお金を落としつつ、社会人としてきちんと仕事もこなすための「相応の体力や精神力」すらリソースとして扱われるのかもしれません。こういうリソースを惜しげもなく注ぎ込んでしまう対象が、あたしにとっての「推し」なのかなぁ、と。


ちなみに、時々「推しに落とした金額=推しへの愛の大きさ」みたいな話を見かけるのですが、その意見には反対の立場を取る人間ではあります。経済的な問題(自分の裁量で使えるお金が少ないetc.)や、場所的な問題(イベント等の開催が近くで行われないetc.)で、お金を落としたくても落とせないという人は多分いると思うので。

昔はその「金額=推しへの愛」みたいな論調への反感が強すぎて、「推しに対して多額のお金を注ぎ込む」という行為? 現象? に対しても、どことなく嫌悪感を持っていたのですが、今年に入ってからの数ヶ月で、その行為自体に対する嫌悪感はあっさり払拭されました。なんというか、「お金を落とすこと」が「推しへの愛の表明」ではないにしても、いろんな理由で気がついたら推しに多額のお金を注ぎ込んでいるという現実はあるものだなぁ……というのを体験してしまったので(笑)。実体験でしか人は変わらないものですね(←なんか違う)。


今回はここまで。次は、「自分」というものの棚卸しも兼ねて、今までより少し自分の内側を抉るような話になると思います。それではまた……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?