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メンタルガタ落ちからの奮闘【人工股関節手術入院】


こんにちは。
頑張り屋さんの心をほぐすカウンセラー、みっぺです。

2022年の秋、私は変形性股関節症になり
日常的に「歩く」事が激しい痛みで
普段通りに身体を動かす事も苦痛で
整形外科を受診し、人工股関節全置換術という
手術を受けました。

今私はアラフィフなのですが、若い時に
脳内出血を起こし、左半身麻痺という
割と重い後遺症を抱えて、
悲観的になる時や自分の運命を嘆く時期は
もちろんありましたが、
頑張り過ぎてた時期があり、心も身体もボロボロ
になった自分がいたので
生きてる内は私がご機嫌な人生を送りたいな…
と思うようになりました。
生まれてから死ぬまでせいぜい何十年間、
それまでの間、自分を大切にする生き方を
しようと決めています。

そんな中起きてしまった「手術入院」。
寝ても起きても痛む股関節で
メンタルが崩壊しかけてました。
だって、脳内出血で左半身麻痺
という後遺症持ってるから
また大きな手術やる羽目になった!
なんで私ばかりこんな辛い状況になるの⁈
って思いましたよ。そりゃそうですよ。
で、結果こう思ったわけです。

でもこの痛み、痛みをなくす為には
何かしなくちゃ変わらない。


で、手術をしようと決意した私。
これから裏事情も含めて、私の闘病生活のお話を
しようと思います。

入院中に起きてしまったショックな事。
出来てた事が出来なくなり、また新たに出来る
ようになった事、落ち込んだ事、心の内側、
恥ずかしいけど晒そうと思う(笑)

こんなことがあったのね。
でもみっぺさんという人はこんな事を頑張ってたのね。
こんな不安と闘ってたんだ。
と、何か私の話した事で気付いてくれたり
応援してくれたら私は嬉しいです^^

■治療の第一歩 - 手術・入院と心の覚悟

手術をしようと決意し、入院の準備を始めました。
病棟の主任看護師さんからの説明を受けて
いろんな書類の同意書やら誓約書やらをカキカキ。
股関節の手術だったので、股間の剃毛(毛を剃っちゃう)が
あるんじゃないかって覚悟してたんだけど、それはない
というお話でした(笑)

いや、頭よぎりません?
脳内出血で手術したのが丁度30年前だったんですが
頭の手術だから髪の毛剃ったんですよ。
つるっぱげでした(笑)
私、がっつり記憶はないんですが、髪長かった
当時の私は、剃ってる時泣いてたらしいです。
女子ですなぁ…

で、入院時の必要なものの説明を受けました。
・服(主にパジャマ・下着)
・シャンプーセット
・洗顔セット
・歯磨きセット
が、必需品。
あと私物でどこまで持ってきていいのか聞いて、
ノートPCと本数冊とスマホは持参しました。

で、私が嫌だー!って思ったことがあります。
それは

術後はしばらく紙おむつ

っていうこと。
「オムツかぁ」
「オムツ…」
拒否反応でたんですよ(笑)
大体、人工股関節の手術したら紙オムツを
使用するらしいです。
アラフィフだけどまだオムツが必要な
お年頃じゃない!左半身麻痺だけど、
そんなに苦労しないだろう。
でもしばらく毎日紙おむつでウロウロするの
すごい嫌だな〜…
体力落ちてきてるしいろんな所がゆるみがちだけど(笑)
まだまだ私は大丈夫、と思っていました。
手術して、どれくらいの期間で回復できるんだろうか、
いろんな不安を抱えつつ、手術に挑みました。

■新たな一歩 - 術後のリハビリとトイレ訓練

術後、目が覚めたのはすでに病室。
左股関節がものすごく痛い。
熱もあるっぽい。とにかく体が痛くて重い。
点滴をしてるので食事は無し。
痛みに耐えながら唸ってました。

翌日からリハビリです。
まず車椅子でトイレに行って、便座に座る練習
をしました。
座ると、患部が丁度便座に接触する位置だったので
猛烈に痛みがあり、座れたけど立ち上がれない。痛い!
痛くて痛くて中々トイレの個室から出られなくて、
トイレの練習も一苦労です。
やっと立ち上がれてベッドに戻ってきたのですが
それだけでヘトヘトになりました。

その翌日

手術中のバルーン(おしっこを貯める袋)を外されて
無事(?)紙おむつ生活になりました。
1日1日が痛くて出来なかった事が出来るように
なってきて、痛いけど、自分でトイレに行ける
ようになったんです。
食事は常食で水分は病院支給のお茶くらい。
日中のトイレは難なくクリア。夜のトイレは看護師さん
を呼んで車椅子で運んでもらっていました。
そして、車椅子も卒業して、自力で歩いてトイレに
行く事も出来るようになり、看護師さんを呼ばなく
ても良くなりました。

だがしかし
夜、問題は起きました…

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