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シャツインに対する呪いから解かれて大人になる



某日深夜、Tシャツの裾をズボンの中に入れることをなんというか、ふと考えたくなったが、一瞬ド忘れし、数十秒して、シャツイン、であることを思い出し、アハ体験をした。

小生の中学校では、ジャージになる際、シャツインをすることを決められていた。あれはなんだったんだろうか。必ず白いTシャツを着用し、半ズボンのなかに入れることが必須だった。学校に秩序をもたらし、また教員の権威を知らしめるための、無意味な規律だったんだろう。ルールに従わない不届きものをあぶりだすものようで、生理的な不快感を覚えながら、従っていた。

いつの間にか、シャツインはださい、シャツアウトはイケてる、みたいな不文律さえ生まれていたような気がする。いかに裾をたぼっとさせて、シャツをズボンに入れるかにこだわっていた。アウトしたら先生に怒られる、そのギリギリのラインを攻める、滑稽な抵抗だ。

さて、時が経ち、あんなにださいと思っていたシャツインを、わたしは欠かさない。

まず実用面において、シャツインは有能だ。掃除や洗濯、家の中で何か作業をするとき、シャツインをする。裾がばほめがない(※注釈:これは青森県の方言かもしれない。ばほばほしない、という意味である。)ため、作業にえらく集中できる。また寝るときもシャツインすれば、睡眠中うっかり腹が冷えることを抑止することができる。

なんと有能か。

また、シャツインはおしゃれでさえある。やり方を間違えなければ、だが。ざっとインスタグラムをみると、早速、滝沢カレンさんがシャツインおしゃれファッションを披露しているではないか。



滝沢カレンさん、いいよね。大好きです。

であるからにして、果たして、わたしはシャツインに対する呪いから放たれて、大人になった。シャツイン=ださい、は無意味な法律により生まれた幻想だったことに、やっと気づいた。いまやシャツインをするをしないも自由な世界線にいたのであり、その呪縛から解放されていた。そして、今日もシャツインをして寝て、明日もシャツインをして部屋の掃除をして、明後日もシャツインファッションででかけようかな、などと思うのである。

#エッセイ #シャツイン

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みぽりん
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