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米国に住んでも孤独

大学卒業と同時にご主人の都合で渡米。当時話題のトレンディドラマ『同・級・生』のラストのようです。バブルがはじけた最初の就職難の年。お嫁さん候補として重厚長大企業に就職するはずだった同級生達が一様に苦戦する中、私は相当脳天気に見えてたと思います。なにしろ日本とのやりとりはファックスか郵送という世界。生の情報は入ってきません。

現実の私は、うつ病になるぐらいの孤独と闘っていました。だってダンナさんは1年の交換留学期間中に1)米国の大学院に合格し2)米国の大学から奨学金をもらう「予定」で私を連れてきてしまいました。結果が出せないなら1年後に帰国です。両親に結婚の申し込みに来たとき「美穂子さんを幸せにできるのは僕しかいません」と宣言してしまったダンナさん。退路がありません。

だから私の仕事は、とにかく彼の邪魔をしないこと。朝ご飯と夕飯を一緒に家で食べる以外はずっと勉強している彼の視界に入らないように生活してました。でもすることがない。英検準1級程度じゃテレビ観ても分からないし買い物も毎日するほどじゃないしお金もない。日本人の奥様とも知り合いましたが、みなさん日本の企業からの派遣だし30代だし裕福そうだし子育て中の人ばかり。ときは1ドル78円の時代。円でお給料をもらっていたあの方達は体感でお給料が倍近くになり赴任手当もつき、3年後に帰国すれば家が建つのです。卑屈な21歳の私には無理です。早々に脱落しました。インターネットがない時代なので日本語に触れることもできず完璧に孤独でした。

なんで結婚しちゃったんだろう。なんでこんな貧乏なんだろう。私は何やってるんだろう。後悔の嵐です。しかし。しばらく落ち込んだ後、開き直りました。だって女子大の同級生達に負けたくない。彼女達の未来形みたいな赴任の奥様たちなんかと付き合いたくない。

どこまでもバカでガキな私でしたが、それが原動力となって隣の州立大学への9月編入を目指し英語の勉強を再開しました。

補足:海外赴任の奥様達も今にして思うとかなりしんどそうでした。うつ病になって生まれたばかりの赤ん坊を池に投げ捨てて殺すという事件まで起きました。同じ企業から赴任してきた奥様達が10人ぐらい、いつも一緒で仲良しなんだなあと思ってましたが、そんなわけないですよね。海外とは言っても会社の中の小さな日本人社会で生きていかないといけない。少しぐらい福利厚生が良くても相当に大変だったと思います。


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