【東日本大震災】2011年3月11日
14時46分。翻訳の仕事がひと息ついたときだった。コーヒーカップを持って机の下に潜る。2日前のマグニチュード7.2の余震だろうかとうんざりしていると、揺れがどんどん勢いを増していく。コーヒーは辺り一面に飛び散りパソコンとプリンターがぶつかり合う。悲鳴を上げ、死を覚悟した。3分は続いたと思う。
這うようにして玄関の外に出ると、マンションのみんなも同じようにへたり込んでいた。8階のママ友が大声で泣いている。部屋の隅から反対側まで飛ばされたという。我が家は2階の角部屋なので壁に亀裂が入った程度だったけど真ん中の家は左右両方の揺れをまともに受け、あちこちひしゃげていた。
大きく呼吸を整える。まずは子ども達だ。緊急時なので車ではなく歩いてお迎えに行く。電線が地面にくっつきそうに垂れ下がり、水道管が破裂してアスファルトから吹き出していた。たぶん都市ガスが漏れ出てて臭い。爆発したらどうしようと思う。
途中、インフルエンザで学級閉鎖だというのに遊びに行っていた長男のユウイチと無事に合流。小学校に着くと、子ども達が上靴のまま運動場で整列していた。次男のコウを引き取るとき、同じマンションの男子と目が合った。一緒に連れて帰りたいけど逆に混乱すると思って我慢する。
夕方になり雪が降ってきた。余震がひっきりなしに来る。コウがパニック気味に騒いでうるさい。マンションの駐車場に避難して、ご近所さんなのに初めましての人達と話していたら、さっきの男子の母が帰ってきた。息子を連れてない。
「なにやってんの!早く迎えに行ってあげなさいよ!」
思わず怒鳴ってしまった。近所のスーパーで働いている彼女は、お店のマニュアルにのっとりお客様の安全を確保し諸手続を経て帰宅が許されたばかり。真っ暗な寒い校庭で先生とお迎えを待っているであろう我が子が心配ないわけない。後日謝ったけどすごく後悔している。あのときの彼女の顔が忘れられない。
ダンナさんとは19時半頃に合流できた。停電で信号も動かず大渋滞だったそう。部屋に戻り、毛布や食べ物を持って車に移動。その晩は隣の空き地に停めて過ごした。あんなにうるさかったコウは、全員揃った途端安心したのか一瞬で爆睡。いびきまで掻いてて笑う。フロントガラス越しにきれいな星が見える。明日には日常に戻るよね、せっかくだから特別な今夜を覚えておこうと話し合う。車のラジオでは、津波のニュースを繰り返し伝えていた。
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