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19で婚約、21で学生結婚、偏差値38なのに渡米①

「だから結婚してって言ってんじゃん」

出会って1か月。3回目のデートの夜の公園。付き合って、と言われるのかと思ったら結婚してくれと言われました。大学2年の春。19歳でした。

当時ダンナさんは25歳。現役で某旧帝大に受かったものの音楽に明け暮れ2年留年。なんとか卒業して故郷に就職しようと思ったら落選し意気消沈して指導教官に報告したら、いっそのこと米国に留学して大学教授を目指さないか?と言われ心機一転していたら、その数週間後に私に出会ってしまいました。

一方の私はお隣の女子大2年生。小さい頃から痛いくらいにしっかり者。働く母を支え2つ下の妹の世話をし家事一切を引き受け成績も優秀という非の打ち所のない優等生が少し都会の進学校に行ったら成績は普通になってダメな子扱いしてもらえる。それが心地よくて存分にキャピキャピしていたら河合塾の模試で偏差値38をたたき出し。それでもスイッチが入らず50ぐらいのお嬢様系女子大に不本意ながら滑り込んでフィニッシュしました。

あの勉強量で、ちゃんとした学校にご縁をいただけたんだから感謝すべきなのに、当時は無駄にプライドばかり高くて周りをバカにしまくりです。そのくせ彼女達と合コン行ったりディスコ行ったりナンパ待ったり陰口言ったり張り合ったり。肩パッドの入ったショッキングピンクのスーツで大学に行って、「今日のお迎えはアウディなの」「え?ベンツはどうしたの?」と合コン相手を車種で呼びながら髪の手入れしたりネイルしたりの毎日でした。

当時の彼氏はイケメンでしたがガキでバカで卑屈。大学1年が終わるとき、何もかもが嫌になって「もううんざり。全部捨てる。これからは、自分を高められるような趣味を通して男女問わずお友達を作ろう」と決心し、旧帝大の新入生勧誘サークルフェスティバルへ。最初に惹かれたのはヨガサークル。でも一緒に行ったキャピキャピ女子が嫌がってくれたので行かずに済みました。数年後サリン事件が起きるのですが、そこはオウム真理教の出先機関だったんです。本当に危なかった。あのときの私は、きっとはまってたと思う。嫌がってくれた彼女に感謝です(バカにしててごめんね。あんな私と一緒にいてくれてありがとう)。その代わりに(?)出会ってしまったのが廊下でギターを練習してたオジサン。ジャズサークルへの行き方を聞いたその瞬間、ダンナさんは私に一目惚れしたそうです(笑)。


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