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Tinder観察日記00 私がTinderを始めた訳

そろそろ冬の風が吹き始めて世間が人肌恋しい季節だよね~な雰囲気になり始めた秋のある日、私はTinderをインストールした。

人肌恋しい冬を乗り切るための恋人あるいはその場限りの男を探すため、、、

ではなく、ある理由があった。

話は変わるが、あなたは片思いを楽しいと思える人間だろうか。
私もその気持ちはとてもよくわかる。
好きな人の一挙一動に振り回されて、相手の気持ちを読もうとして一喜一憂して、付き合えるかな~どうかな~の駆け引き。
そしてそれが晴れて上手く事が運び、付き合えたときにはアドレナリン出まくりだろう。

でもそれが楽しいのは付き合うというゴールがあってこそ

私は叶うはずのない片思いを6年もずっと続けている。

それも同性の友人に。

LGBTという言葉が確立された今ではもうそんなに珍しい話ではないかもしれない。
でも付き合うというゴールが限りなく無いに等しいこの片思いはただただ辛いだけで、片思いを楽しめる状況下に置かれている友人たちがとてもうらやましかった。

彼女への思いを自覚したのは高1ではじめて彼氏ができたときだった。
共通の趣味をきっかけに私から好きになってたくさん遊びに誘ってやっと付き合えた彼氏。
うれしくて、友達にたくさん話した。
けれど、彼女にだけはなぜか話せなかった。
そのときはじめて彼女への恋心を自覚した。
もともと中3のときから感じていた違和感。
自分がほかの女友達へ向ける感情と彼女へ向ける感情が違っていることは気づいていた。
ただ、それが何という名前の感情なのかわからなかった。
それが彼氏ができて、あれなんか違うって思ってしまったのだ。
自分から好きになったはずだったのに。

私の友人たちはみんな、偏見なんて持っていないし、打ち明けたら親身に相談に乗ってくれるだろうことはわかっていた。
でもカミングアウトというのはやっぱり相当な勇気がいるもので、わざわざカミングアウトするくらいなら一人で抱え込んでいた方がまし、と思って彼女への思いはずっと自分の中だけにとどめていた。

彼女とは大学生になった今でもすごく仲の良い友人だ。
だから仮に私のこの思いを打ち明けて万が一にでも付き合えるかもしれないが関係性が変わってしまう事とこれからもずっと友達のままで仲良く遊びに行くことを天秤にかけたら迷わず、友達のままでいることを選ぶ。
だから、私は彼女に自分の気持ちを打ち明けることは無いし、だから、私の片思いが成就することもない。

わかっている、からもういいのだ。
たぶん冷めることなんて一生無いけど、成就することが無いこともわかっているから、とある青春の1ページくらいの感覚で心の奥底に仕舞えるくらいには成長した。
6年も片思い拗らせたらそんなもんか。
このままこの思いは誰にも打ち明けずに墓場まで持っていく、

つもりだった。

そしてここで本題に戻るのである。
そんなある日、何気なくテレビをつけると、某マツ〇の知らない世界をやっていた。テーマはマッチングアプリの世界。何種類かのマッチングアプリが紹介される中、恋人作りだけでなく、友達作りにも利用できるため、同性ともマッチすることができるという文言を聞いて思いついてしまったのだ。
もしかしたら私と同じ境遇の人と話せるかもしれない、と。もしいなくても、誰も私のことなんて知りはしないのだ。失うもののリスクも何もない。誰でもいいから私の秘めた思いを誰かに聞いてほしい、と思ってしまったのだ。

正直なところ、Tinderに良い印象は持っていなかったのですごく迷った。ま、でもとりあえず、アプリをインストールするだけでも、と思って入れた。

プロフィールを作成して、始めてみるとものの数分でLikeが99+になった。
怖いと思うと同時にそんなに多くの人がこの瞬間にも利用しているのかと思うと、少し不思議な感じがした。

使い方は簡単ですぐに慣れた。話を聞いてもらう人を探すためにマッチ数を増やしてメッセージをやりとりしていくうちに、なんというかまあそのハマってしまったのだ。

小、中、高、大と上がっていくうちに周りには同じようなルートを歩んできた同い年の人たちばかりになる。同じような偏差値帯の人が集まるのだから必然といえば、必然かもしれない。
そんな中で、年齢も住んでいる場所も育ってきた環境も今の生活環境も性別も趣味嗜好も性的志向も何も関係なしにマッチして会話をすることができる。ある意味とても暴力的だ。
でも、まったく違った環境で育って、今の自分と全く違った道を歩んでいる人の話を聞けるのがとても楽しかった。
世の中はすごい広くて、いろんな人がいて、みんな違うことを考えていて、っていうのを実感できるのがすごくワクワクしたのだ。

これは、その時のことを書いた私のノンフィクション。まあ、Tinderで遊んでたのを良いように書くなよと思う人もいるかもしれないが、私はこの経験を今しかできないとても貴重な経験だったと思っているので、文字に起こして覚えておきたいのだ。

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