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ポートランド紀行〜マイノリティ性とポリアモリー事情編
知り合いが誰もいなく言葉の不自由な中年の異国移住は、当たり前だけど友達が出来る訳が無く、(ボランティアやmeetup、現地の幼稚園のママをプレイデートに頑張って誘ってもダメだった。)40歳にして初マッチングアプリを使ってみました。
マチアプとはいっても友達探し用のアプリなのですが、マッチングしたのはほぼ性的マイノリティの人だったのです。こういうのは大体Like-minded People* 自分と価値観が近い人が交わることになるのです。
色んな人にほぼ体当たりで会ったけど、英語力が無さすぎたのもあり、数回会ってご縁が切れ継続して今も連絡しているのは一人だけ。さよならだけが人生だけど、心の消耗がすごいので二度とマチアプはしない。でも今思い返すと楽しい経験でした。私と会って話してくれて感謝しかありません。
セクシャルマイノリティのメルティングポットであるポートランド
私のお気に入りのポートランドの一面と言えば、コーヒーやトレイルよりもセクシャルマイノリティのメルティングポットだという所。憎きルッキズムを鼻で笑うようにみなさんボディポジティブ。自分の好きな格好をして街を歩いています。
デンマーク→スウェーデン→ポートランドと移住して、どこも自然崇拝が色濃く、そしてもれなく、自然・女性・クィアなどのエコフェミニズムが盛んな場所だけど、ポートランドは保守的な土地から安住を求めて移動してくる人がカルチャーを保持している都市なのです。
マッチングアプリで出会ったのは6人くらいで、MTFのママ?友、バイセクシュアルやレズビアンの女の子達、ポリアモリーのカップル、ソロポリーの写真家。などなど。とはいえ私自身は性的マジョリティでモノガミーで、それはちゃんとプロファイルには記載したので、マッチングの方はアートとか音楽とか食の嗜好とか日本の好きな文化とかだとは思うのだけど、
そう、出会いはいつもミラーリング。
1on1初対面の対話の素晴らしい所はいきなり本質的なトピックを交換出来る事。足らない英語で深く話していくと、それらは全部私の中にもあるものでした。性的マイノリティーとマジョリティーの壁、ポリアモリーとモノガミーの壁などは本当は無くて、全てがグレーでシームレスなのだと実感したのです。(本当に何度も繰り返すけど人間は環境に超依存する生き物。)
国や世代、コミュニティーを変えれば、元々の潜在意識から色んなものが引き出されるのです。自分だと認識してるものなんてあって無いようなもの。
例えば。。
私は小さい頃からメンズファッションに心トキメク。本当はCasely-Hayfordとかモダンでトラッドな服を着こなしたかったよ!友達にはいないけど、すごく稀だけど特定の女の子にキュンキュンしてしまう事もあるし。
そしてポリアモリーが性癖か?は、そうである人もいるしそうでない人もいるけど、ただ私の理想の恋愛観は自分と相手の比較をしない、自分の好きという気持ちを大切に出来るポリアモリー的なのです。(あくまでも理想ね。)
とはいえそんな自分もあるんだなぁ〜と俯瞰するだけで満足で、幸せです。
ポリアモリーの種類の複雑さと、理想と現実の難しさ。
ポリアモリーの解説や種類については割愛します。
相手に対して多大な労力をかけ、対話を諦めず、尚且つ相手がどう出るかより自分が好きという主観を大切にし、相手が自分ではない人と愛し合うことに幸せを感じる。これだけ聞くと素晴らしい人生観でもある。
しかし、私が出会った、又は聞いたポートランドのポリーは
・既婚後に他のパートナーを作る、浮気よりマシだろうという考え方。
・自身はバイセクシャルだけど結婚相手は異性で、婚外パートナーは同性。
というパターンばかりで、この場合は残された側のパートナーが実際には深く傷ついている様子にも見受けられました。
でも上手くいっているパターンはあって、ポートランドでは私はまだ会えていないけど、ポリアモリーの友達はスウェーデン時代からも居て、彼はオープンマリッジをしててパートナーの奥さまは本も出版しています。
それはパートナーシップを始める前からお互い自己認知能力があり、誠実にに自己開示し、同意し、自分で自分を幸せに出来る独立心があること。安全なコミュニティーにいる事。
これらは全ての人間関係において理想だなぁとは思いますが、
阿吽の呼吸だけで意思が通じ合う気持ち良さや、浮気する背徳感に美を感じる人もいる訳で、何にしろ相手の気持ちは幻想に過ぎない。やっぱりこれも人それぞれ。
とはいえ、AIが発達して余計な仕事が無くなって、私達にもっと自己開示して対話をする余裕が出来てきたら、幻想を超えて、それでも人と繋がりたい欲求が高まり、菌根菌ネットワークのような共同体としてのポリアモリーな関係性は増えていくと勝手に予想します。モノガミーとしての子育ても今の日本の社会において限界だとも思っているので。
そんな話を旦那さまにお茶をいれながら熱弁し、それを鼻くそほじりながら聞いてくれる旦那さまを見て、感謝の気持ち、ワンネスを感じる私でした。
私はもうポリアモリーにはなれないけれど、これからポリアモリーやオープンマリッジなどシームレスな新しい関係性を切磋琢磨して切り拓いていく人たちを心より応援しています!