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ミステリアスな部分が自分の中にあるからこそ。
私はシェアしているArt of Feminine Presence(AFP)。
4月1日からスタートしたトレーニングに参加していました。
3日間オンライン、3日間リアル会場で。
そしてこれから、オンラインでの後半トレーニング。
けっこうな長丁場のトレーニングになりますが、
順調にいけば6月頃に認定という流れです。
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AFPに初めて出会ったのが2017年。
かれこれ5年もの間、
この飽きっぽい私が飽きもせずに続けられているのは、
どんどん自分が軽やかになって、
より自分らしさを抱きしめながら、
楽しく喜びに満ちている感覚が
どんどん深まっているからだと思うのです。
そして何より、それに終わりがないこと。
答えがないこと。
そのミステリアスな部分というのが、
まだまだ自分の中にあるということに、
ワクワクしちゃうし、知りたくなる。
まだ見ぬ私に会いたい。
感じたことのないことを感じたい。
見たことのない景色を見たい。
そんな自分の好奇心と欲望に
素直になればなるほど、
世界は美しく、面白く、
豊かな景色を惜しみなく見せてくれるから。
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以前の私はいつもどこかに不安を抱えていて、
このままでいいのだろうか?
という思いが消えることがありませんでした。
その不安で不安定な感覚が怖くて、
早くその感覚を消し去りたくて、
色々なことに手を出してきたんですよね。
実績とか、結果を出さないといけないって、
いつもいつも焦っていて不安でした。
そしてそれが出ないものだから、
別の方法を、って、
ジプシーになっていた時期もあったなぁ。
(遠い目)
誰かに認められないと、生きている価値がないって、
強く深く信じていたんだと、今思います。
「自分を信じればいいんだ」って、
その言葉を丸ごと鵜呑みにして、
自分を信じられない自分をダメだと否定して、
ダメな自分じゃだめだと、
リア充な私を取り繕ってみたりして。
でもそんなハリボテはすぐに見抜かれ、剥がれ落ち、
何よりも私自身が苦しくて苦しくて、
自分に才能がないのだと止めてしまうことが多かったなぁ。
でも、AFPに出会って、
自分を信じられない自分も
温かい眼差しで見てあげられるようになり、
ダメだと自分をジャッジしている自分も
丸ごと気付いてあげられるようになり、
そして気が付いたら不安は消えていて、
希望しかない、とまじめに思っている自分が
今ここにいるという奇跡。
起きていることを見つめながらも、
自分の感覚に開いていることは、
自分を信頼することであり、
自分の可能性を開くこと。
そして、その眼差しで世界を見た時に、
見える世界が自分の世界だとすると、
やっぱり世界は自分が創っているのだと、
そう思わずにはいられないのです。
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目に見えるものを握りしめるのではなく、
目に見えないけれど「感じること」を頼りにして、
もっともっと自分の中にあるミステリアスな部分に気付き、
もっともっとその可能性に開いていきたい。
その先にある景色を見てみたい。
多くの人がそんな眼差しで自らを見られたら、
どんな素敵な世界が広がっているのかなぁ。
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