憧れの女性がいる、というよろこび。
憧れの女性は誰ですか?
私はその質問にすぐに答えられないことが多いのですが、それでも最近はカッコいいなぁとか、素敵だなぁ、と感じる女性が増えました。
そんな女性たちのどこにそう感じるかと言えば、
やることをやっている
やるべきことをやっている
言い訳をせずに行動している
というところが、共通点。
やっていることは、会社経営だったり、カウンセリングだったり、トレーニングだったり。または子育てだったり、PTAの役員だったり、介護だったり。はたまた政治に関わったり、活動を立ち上げていたりと様々なのですが、自分に与えられた役割を言い訳せずに引き受けて、楽しみながら全うしている姿が眩しい。
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人は、役割がはっきりすると輝きが際立つと感じる。
さらに、その役割をどのように受け止めているかで、さらにその明るさが増すように思うのだ。
言い訳せず、楽しみながら全うする姿
それは、自分のどこかに嘘をついていたら、表われない存在感だと思う。
お願いされてどこかに無理がありながら引き受けているでもなく、
かといって、注目を浴びたいというような自意識があるわけでもなく、
それでいて、温かい心をもって人と関わろうとするオープンなハートを持っていて。
しかし冷静に、淡々と。
隠しきれないほどの溢れるほどの情熱をもって邁進する姿は、周囲にいる人の心をとらえて離さない魅力がある。
そこまで自分のエネルギーを注ぐことのできる「なにか」があるということが、羨ましくもあって。
私もそうなりたいと、そういう人でありたいと、そういう思いが自分の内側から強く溢れてくるのを、今、この瞬間に感じている。
そして同時に、そこにたどり着くまでに彼女たちがどれだけ自分自身に対して真摯に目を向け、まっすぐに向き合ってきたかということを思って、敬服する。
魅力というのは、明るい部分だけでは決してないということがわかる。暗い部分があってこそ、明るさが「ある」ことが分かるのだから。
幸せなことに、そんな多くの女性たちと時間を共にすることが多く、素敵な刺激をたくさんいただく日々。
自分が、今この瞬間の自分自身に気付いていること。
醜い自分がそこにいても、それをジャッジせずにただただ気付いて、見つめていくこと。
その地味な積み重ねをしながら、私も引き続き自分自身に目を向けながら、彼女たちの後に続く存在になりたいと、そう思う私がここにいる。