愛すること、愛されるということ
夫婦でやっているYouTubeチャンネルをみている。その夫婦がゲストにインタビューをしていて、ゲストがある話題で感傷的になり泣き出した。そのときにホストの夫婦が「焦らなくていいよ」と同時のタイミングで同じ言葉を口にしたのを見て、ふとカップルというものの良さを思い出した。誰かと一緒に生きることの良さ。パートナーが隣にいることの良さ。
私にも長く一緒にいて結婚を考えた人も何人かいた。私たちは最強の二人だと心強くいられたときもあった。彼とだったら私は最強でいられるとも。でも最終的に、結局はどれもうまくいかなくて、今私は一人で生きている。
たぶん私には生い立ちのせいで負った傷?生い立ちのせいで歪んでしまった何か?とにかく何か、男性に深く関係するその原因のせいで、私は恋愛とかパートナーシップとか結婚とか、その手の類のものには絶望しきっている。そのくせ、またパートナーがいる日々を夢見てしまうのだから、たちが悪い。頭をまるめて尼さんになる必要はないまでも、酒を断つのと同じ感じで、もういっそ男断ちを決意してしまえばどんなにさっぱりするだろう。ほとんどうまくいかないのにまた挑戦しようとしている自分がおぞましい。
しかし父親から溺愛されて育った私の10年来の友達が、異常な男に異常な振られ方をして、それ以来15年まともな恋愛すらできずにいまだに独身でいるのを見れば、私は生い立ちのトラウマとか何か外的要因に失敗の原因をただこじつけているだけかもしれないとも思う。もっとも彼女にとっては溺愛されて育ったことが原因かもしれないが。わからない。
とにかくその、私が失敗続きの原因にしたがっている「トラウマ」とやらを分析して、はっきり何がと言語化するのは時間がかかりそうだ。しかし発達障害持ちである父親との関係が私の判断力や価値観を大きく歪めていることは確かなので、そのことは今度また別の記事に詳しく書くとする。
最終的にダニーロと結婚にこぎつけることができなかったのは、コロナ禍だったこととかビザのこととかコミュニケーションの不足とか、理由はいくつでも並べられるが、元をたどれば「そういう人」、(ダニーロに関しては対話ができない相手)を選んでいる私がいたということだ。
振り返ってみると、「そういう人」ばかり選んでいる。相手が求める人物像を3年間ぐらい演じ続けていた関係もあった。これって本当の自分ではないなぁと心のどこかで気づいている自分もいながら、その演じている私という人間に深い愛情を示してくれる相手を裏切ることができなくて、その関係を3年ほど続けた。彼の理想像、馬鹿で無知で素直で頑張り屋で従順な女という彼の願望を投影した私は人形だった。愛をもらうためには演じることなど何てことなかったのだ。たまに感じる違和感ぐらいはスルーすることができたし、だんだん演技が自身と同化して、本当に自分は馬鹿で無知で素直で頑張り屋で従順な人間なのかもしれないと思っていた。彼とはそのこととは別の理由で結局別れたのだが、彼と離れてからだんだんと本来の自分自身に戻っていった感覚を覚えている。
もっと振り返ると、30歳を目前にしながら、まったく将来性のないアーティストの卵に夢中になったこともあった。私自身も経済的に不安定なのに、相手も絶望的に経済的に不安定なうえに精神疾患も持っており、すべてがグラグラしていた。二人がステップアップしていく建設的な話し合いなどはなく、彼は破滅的なクリエイターで、損得を考えればそんな相手との明るい未来など見えないのに、別れた時は悲しくて悲しくて呼吸困難になるほど泣いた。別れの理由は、彼の生活基盤が不安定なことから起こる不幸の連鎖が止まらなくて、さすがにこの人と一緒にいたら自分も破綻すると怖くなり別れたいと強く思うようになった。しかし最後はなぜか、経緯は思い出せないのだが、私が振られている。時間を何に使っているのだ、私は。二度と戻らない20代の貴重な時間を。
ダニーロはイーブンでありたいという感覚を持っている人で、支払いはレストランからトイレットペーパーまで1円単位で全部割り勘だった。でもそれは私にとっては気持ちの良い関係だった。
付き合い始めて最初の私の誕生日にすっぽかし、というか全く覚えてもおらず、誕生日前の休みに高級レストランに連れて行かれたが、単純にそれは自分の勉強のために食べにきたという感じで(ダニーロは料理人なので)割り勘で、さすがに誕生日の当日の日曜日には何かあるかと思っていたらダニーロは職場の仲間とキャンプに行ってしまった。大事な人の誕生日を覚えておかなければならないという概念じたいがなかったようだ。私はパートナーに誕生日を祝ってもらわないとすごく悲しいタイプなので辛かった。それ以降は毎年自分の誕生日に近づくと、「5月30日はなんの日だっけ?」と白々しいクイズを出した。そういうのを笑ってくれたダニーロも、わざとまちがえて笑うダニーロも好きだったけれど。
ダニーロが日本を離れてからは、私が一方的に結婚をせまって追いかけまくる関係に変わってしまった。私は彼と一緒になるために何度も海外に足を運んだけれど、話し合いというものができない人なので、二人の溝は埋められないほどに深くなってしまった。今思えばダニーロは結婚する気などまったくなかったのだ。でも結婚でもしないと当時の私はいきなり海外で仕事をみつけるなどできなかったし、結婚しようって言ったじゃん!という感じで、裏切られた思いだった。結婚という形式にこだわっていると思われたのも悲しかった。別れるに至って当然の関係だったのだ。ダニーロは「どうしていつまでも一緒に暮らそうとしないのか」と私を責め続けていたけれど。すれちがいを話し合いですり合わせる、ということが全くできない人だった。
私は馬鹿だから、恋愛に損得という概念を持ち込んだことが今までに一度もなかった。いいレストランに連れて行ってもらうとか、ふとプレゼントをもらうとか、相手からなにか私のために施してもらう、ということもこれまでにほとんどなくて、そんなことをしてもらったことがあまりないので、それが当たり前だと思ってきた(実際のところどうなの?男ってそういうのやるの?)。いつも自分が全力で相手に尽くしまくってきた。私が奉仕することで成り立っているような関係が多かった。それでも「私ばかりが」という恨めしい感情はなくて、私がしたことで相手が楽になることが私は好きだった。
でもこれは間違っていたと思う。YouTubeの恋愛講座で聞いて知った話だけれど、男には男の役割を持たせないといけないらしい。私がなんでもパッパと先回りして動きすぎたり、世話を焼きすぎたりして、男性が入る隙もなかったのだと思う(と今これを書いていて気づくありさま)。これは母親に似てしまったと、またまた書きながら気づく。うちの母は一方的で独善的なところがあり、相手が呼吸困難になるほど「これはいいもんだから」と与えてしまう。相手が入る隙も与えないぐらいに先回りして動いて、手伝おうとしても「自分のやり方があるから」と断るわりに、なにも手伝ってもらえないと嘆くたちの悪いタイプだ。私も似てしまったかもしれないと今気づいた(遅)。
自分にとってのベストの人かというと、どの人も違ったということだ。間違った人を選び続けてきた自分と、間違った恋愛行動ばかりしてきた自分のせいだ。
人生を誰かと一緒にやっていきたいと願うことは特別なことではないだろう。一人は気ままだがやっぱりパートナーがいるっていいことだと思う。でも、ここまで失敗が続くのは、相手を選ぶ際の判断基準で致命的な問題があって、それは私一人では解決がなかなか難しいものだと理解している。それは父親との関係と愛情に関してが、深く関わっていそうだ。この分析は次回にあとまわしにするとする。
それからもう一つ言えるのは、真剣にガチで結婚する!という強い意思があれば、フラフラした不安定な男、自分に向き合って対話しない男は早々に見切りをつけるだろう。私はこの人生で子供を持ちたいと心から思ったことは一度もないが、もし子供が欲しいという揺るぎない願望があれば、自身の体のタイムリミットを意識して、たとえば①子供のパパとして適切な男か②経済的な安定性③相手も子供が欲しいか④相手も結婚の意思があるか…などなどの審査を厳しくおこなっただろう。
間違いが許されないという覚悟もなく、自分の空虚さを埋めるような相手ばかりを選んできた。
ここまで、過去の失敗を分析してきた。次こそは(挑戦しようとしてます)、ちゃんと私のことを考えてくれる人といい関係が築ければいいなと思う。