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毎日が日曜日は終わりました

2024年7月10日(水)

自由度が減った。どちらかというと私の避けてきた世界観の環境に入り込んでしまった。

労働が楽しいわけがないのだ。わかってはいるけれど。

2024年7月11日(木)

独特のムラ社会。暗黙の了解による独特な共通のコミュニケーション方法によって、微妙に均衡を保っている女性のかたまり。もうこれは「割り切る」「自分のキャラを押し通してわかってもらう」戦法で乗り切るしかない。後者は徐々に出していくのがいい。最初からキャラ全開だと疎まれる。

空気を読みあう。顔色を見る。めんどくさい。自分の世界を守りつつ働けた在宅勤務が恋しい。

2024年7月12日(金)

面接前に、「うちは完全出社の方針ですが、大丈夫ですか?」は確認されていた。同意した上で面接に臨んだのだから、全ては自己責任だ。リストラが進んで社内環境が荒れに荒れ、自分の待遇改善も全く見込めなかったところに、ホワイトで待遇も悪くない今の会社の紹介があって、チャンスに乗ってみたのだった。この年齢で新たな仕事を探すのは楽ではないのに、decentな職場に縁があっただけでも感謝なのだ。

しかし息苦しさがすごい。わかってはいたが語学を仕事で活かせないのも悲しい。というか、焦りすら感じる。副業で何かやるか検討する。納得できる場所に人生をアジャストしていくことは、これまでもずっとやってきたことだ。

2024年7月13日(土)

環境が変わり新しい道がはじまると、過去を振り返る癖がある。忘れ去っていた過去の写真が目の前にランダムにばらまかれるように蘇ってくる。過去を整理して今を把握したいのだろうか。

思い出すのはなぜか、昔の男性との記憶ばかりだ。私は長いこと恋愛依存症で、自分が幸せになれる相手ではなく自分を需要してくれる相手ばかりを選んで、相手に自分の時間と生活を全ベットしてしまう人生だったので、人生=その男性がいた日々なのだ。

2020年春、レストランの仕事がコロナで潰れて休業になった。収入が急に絶たれて、朝食はいつも職場でまかないを食べていたのに、部屋で一人フルグラを食べるだけの日々になった。実家に戻ることに決めて、ダニーロと3年一緒に暮らしたアパートを引き払う準備を一人でやった。洗濯機、シャツやタオルをしまっていた棚、キッチンラック、炊飯ジャー。ひとつひとつが売れてゆき、日に日に部屋が広くなった。3年間の生活が瓦解されていくようで、寂しかった。がらんとした5月の部屋で一人、aikoのカブトムシを歌った。ゴールデンウィークは静かだった。東京都墨田区両国。

これからこの部屋を出て、ダニーロとイタリアで一緒に暮らすんだという高揚感や展望が、今思うとなかった。でもそれも不思議じゃない。いつもの駅前のカフェで待ち合わせる感覚で、「次はミラノで会おう」ぐらいの具体性しかない約束だったのだ。待ち合わせ場所に行けばダニーロがいるから、私はあんまり心配していなかったのかもしれないし、具体的に話せば話すほどダニーロが逃げていくことをどこかで知っていて「成り行き任せ」のダニーロに合わせてしまっていたのだ。飛行機に17時間乗ってもローマの石畳、細い路地で私は一人道に迷って、重いスーツケースをゴロゴロと引っ張って、ずっと一人ぼっちで、やっぱり日本に帰ってきた。あれからダニーロには会えていない。

2024年7月14日(日)

退職前に少し話をさせてもらった外資広告会社の話が気になっている。今の職場、まともな待遇で雇ってもらえてありがたいけれど、やっぱり異文化すぎてしんどい。避けて避けて避けてきたような世界に足を踏み入れてしまった感じ。働きながらもちゃんと自分が行きたい方向性に行ける準備はしておこう。

2024年7月15日(月)

読みたい本のリスト。机に積み上げてある本が片付いたら順番に読んでいこう。


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