ひぐらし
2024年8月17日(土)
今日は土曜日をまるまる一日潰してしまった。昼頃起きて、食うか寝るか以外なにもしなかった。
2024年8月18日(日)
2019年ぐらいの感覚の自分で目覚めた。レストランで働いていて渡航のためにお金をためていた頃の自分だ。瞬間せつなく、すぐ次の瞬間でそれは過去だと気づき、ほぼ同じタイミングで現在に戻った。枕元のスマホを開きTwitterを開ければ一気に「世間」が入ってきて染まる。3秒のできごと。現実に引き戻されるのは一瞬の出来事だ。
ダニーロのことを考えない日はない。感傷に浸りながらだったり、ただ単にダニーロの性格を思い出すのだったり、私たちの過去の日常を思い出すのだったり。おそらくほぼ毎日、毎日でないにしろかなりの頻度で夢でダニーロに会っている気もする。
夏はダニーロの実家が恋しくなる。今度ダニーロの実家に行く時は私には新しい恋人がいるだろう。恋人を置いて私はダニーロの弟の記念碑に手を合わせる。ママはあのビッグスマイルで迎えてくれるだろう。私は上達したイタリア語でママとあのテーブルで話をする。ダニーロもそばで聞いている。ダニーロにも新しい人と子供もいるかもしれない。ダニーロは鳥が嫌いな私が庭で鳥に追いかけ回されているところを見ながら、相変わらずゲラゲラ笑うだろう。こんなに仲良しなのに、どうして私たちだめだったんだろうね、と、お互い口にしないまま、またねと言って別れるだろう。そこまで妄想したところで私の両目に涙がじわじわ滲んできたので私は化粧をする手を止めた。別れた理由をダニーロに話しても理解しないだろう。理解しない。それが別れた理由じゃん。これは永遠に終わらないストーリーだ。
2024年8月21日(水)
無事退職を伝える。前夜は緊張で胃が痛くなったほどだったが、拍子抜けするぐらいに優しく了承してくれた。「合う合わないはありますし」と言われたほどに、たぶん私は浮いていたのだろう。相手の時間を無駄にしたことを謝った。なんども。そして「自分に合わないことをしない。自分に合わないことを選択すると周りにも迷惑をかける」ことを思い知った。万能感でなんでもできる気で飛び込んでしまった。だめです。あなたが絶対できないことは「合わないことを無理してやる」ことです。タトゥーでも掘っておけ。
2024年8月23日(金)
ダンスをまた始めたい。
2024年8月25日(日)
会社を辞めてからというもの、もぬけの殻だ。毎日毎日、どの瞬間も眠たくて仕方がない。無気力で目が死んでいる。私はどうしてしまったのだろう。朝が来ても布団から出られない。気を失ったようにまた眠りに戻ってゆき、再び目覚めるともう昼だ。起きる理由もないがこれ以上寝る理由もないので布団から出るが、死んだように一日を消化するだけだ。「布団から出られない」「朝 起きられない」などと検索してしまうぐらい、自分が心配だ。
こういう無気力な時は、超分割型Todoリストを作らないと私は一切動けなくなってしまう。例えば「昼飯食べる」「髪を乾かす」ぐらい細かく割ったTodoリストを作らないと、ネクストアクションが取れない。今日のTodoリストにも「eat」と書いてあって斜線が引かれている。病的だと思う。お風呂は毎日しんどい。しんどいが夏なのでスキップできず、深夜にのそのそと風呂場に向かう様子は幽霊のようだろう。
2024年8月26日(月)
毎月25日はダニーロの弟の月命日で、弟の写真と一言メッセージを添えてダニーロに送っているのだが、これもダニーロからしたら負担かもしれないと毎月思うがやめられないのは、引っ込みがつかなくなった感もある。ダニーロと私を繋ぐ唯一のアクションだ。ところが今月は、写真とメッセージを送信しても既読にならない。24時間以上既読にならず、なにがあったかと思っていたら、家族のグループチャットのほうに「携帯が壊れたから新しい番号で登録しました」というダニーロのメッセージが確認された。
別れて何年も経つのに家族(といっても親戚含め50人ぐらいの大所帯だから私が紛れていてもバレやしない)のグループチャットに入っているのは、往生際が悪いとしか言いようがない。ここでダニーロが家族に対して送っているメッセージを通して、彼がどんな生活を送っているのかをだいたい把握しているというストーカーっぷりだ。
新しい携帯の番号を私に知らせてこない。区切りなのかな。弟の月命日にメッセージを送るのは今回で最後にしようかな。こうして少しずつ縁が離れていくのだろうか。だろうな。
2024年8月27日(火)
旅に出たい。国内旅行をと考えたが台風が来ている。ぴょんと海外に行ってしまおうか。といっても近場のアジアかな。おそらく行かない。
2024年8月28日(水)
追いかけるということ。実像がないのに私は追いかけていた。離れていくのを感じながらも、実態がないのに目の前に幻想を見立てて追いかけていた。恋愛もそれ以外も。去る者追わず。絶対に追いかけてはいけない。世の常として、追いかけると逃げていく。
2024年8月29日(木)Toxic 'family'
今日の日記は不快な表現が多々あるので、読み飛ばしたい人はそうしてほしい。
父に対する憎悪の感情のストッパーがついに壊れた。お盆に父のゴミ地獄に足を踏み入れてから、改めて、壊れた父とその父と結婚した母によって築かれた家庭のゆがみが可視化し、端的に言うと自分がどれだけ犠牲になり傷を負ってきたかを見てしまった気がするのだ。
父の気分を害さないように、言いたいことをどれだけ我慢してきただろう。父という壊れた人をパートナーに選んでしまい(父にとっても母という人を選んでしまったことは間違いだったと感じて生きていることは容易に想像できる)しかし金銭的な理由で離れることもできなかった母の泣き言をどれだけ私は聞かされてきたことだろう。その私の40年の犠牲は報われただろうか。幼い頃からの私の犠牲は報われることもなく、今なお、父と向かい合って交流することは不可能だ。ゴミを捨てられずどんどん粗大ごみを増やして家族に迷惑ばかりかけている。もうこれ以上我慢することがあるだろうか?そんな感情のスイッチを押されてしまったようだ。
父のガラクタを捨てまくった日記は2024年8月15日。
身内に一切優しさというものを表さず、協調性が全くない父なので、父の居ない場所ではたいてい父の悪口になる。これまでは父の側に立っていた私も、この大掃除以来、母が諫めるぐらいに口汚く父を罵ってしまう。死ねばいいのにとか。一度ストッパーがはずれると、タガが外れたようになり、自分の発する卑語にビリビリと心震わせ、そんな言葉を発している自分に恍惚とし、もっともっと言いたくなる。
そこへ母が「あんたは一番お父さんに媚びるくせに」などと煽るものだから、余計に止まらない。そんなことを言われようものならば火に油を注ぐようなもので、もっと酷い言葉を吐きたくなる。きっと母も確信犯なのだ(母は思慮深い人ではないので、全くの無自覚だろうけど)。「こら、だめよ」などと言いながら、私がswear wordを吐いた後は必ず母はおもしろがっている節もあって非常に腹立たしい。病んでいる家庭としかいいようがない(もうすでに”家庭”という体裁すら存在していないが)。
今日を境にswear wordは言わないと決意したって母と二人きりになれば100%の確率で父の悪口になるので、気づけば「死ねばいいのに」が口をついて出ている。その言葉はブーメランのように自分に返って来て病気になるとかいう理由でもつけて無理やり辞めないと、止まらなそうだ。憎悪が止まらない。
父と母の、固く絡まってもう二度とほどけないような糸をずうっと見せられてきた。解決できないものを見せられて母に泣かれていた。解決できないものを見せられて泣かれる辛さ、わかるだろうか。だから母と父の両方を立てて、両方の感情をうまく保つようにしておくのが私の役割だった。まったくうまくはできなかったし、母からは「お前はいつも父に媚びる」とののしられ、父からは気遣えば気遣うほど煙たがられた。私が両親のサンドバックだったからだ。
さっさと物理的に距離を置いておくべきだったのだが、中途半端に家を飛び出しては戻った私は、この”家庭”と共依存状態だったのかもしれない。サンドバックがいなくなると困る両親と、それを知って「戻る場所」として家を利用した私。そうだったのだ。自立しきれなかった44歳がここにいる。私もおおいに”家庭”を利用してきた。どちらにもいい顔をして。
スイスから戻る場所があったことは感謝しているが、あれから4年が経つ。私もいよいよ実家を出たい。現状、しょーもない家庭の事情により母から「もうしばらく実家に居て欲しい」と言われており、私ももう少し金がまとまってからなどと思ってるが、この調子だと私の心身が毒され尽くしてしまいそうだ。ぼやぼやして結婚に失敗などしているうちに私は家を出るタイミングを完全に逃した。ほんとうにまぬけな私だ。鬱が酷い日などは、私が死ねばいいのだと本当に思う。死ねばいいのは私だ。自分に厳しさを知らない私。死んでいなくなりたい。何度いなくなりたくなっただろう。
44歳にもなって両親に毒を吐くほどに腐った関係なのだから、問答無用で離れるべきなのだ!シンプルにしんどい!病んだ両親との同居!!
ほんのり老いた匂いを放つ母。目の奥が絶望で腐った父。
2024年8月31日(土)
今日、ここ数か月の喪が明けたような実感がある。ここ数週間続いた底なし沼の睡魔がなくなった。焦燥感も消えた。闇の中にいたようなここ数か月だったが、突如カーテンがあいて、これから晴れてゆきそうな空が見えた感じだ。ただの実感だけど。
8月マジできつかったて!!!!!!!!
2024年9月1日(日)
父がチラチラと私を見ることはずーーーーっと昔から気づいていたがいつもフルシカトしていた。話しかけたいことがあるなら話しかけろよ、と。チラチラ見られるのも気持ち悪いしウザい。しかし今日100年振りに世間話を振ってみたら父がどうでもいい話をしてきて、部屋の空気がゆるんだ。知ってる。私が出してる「話しかけたいことあんなら自分から話しかけて来いよ」の空気が怖くて父は私に話しかけられなくなってた。私が全身から放つ嫌悪感に父も気づいて近づけなかったんだ。悪循環だった。全部知ってるけど。
父が背中を出してきて、シップを貼ってくれと頼んできた。ちょっと背中をあちこち押してみてくれと。痛い!そこだ、そこに貼ってくれ。
もう陰で父の悪口言うのやめよう。自分が悲しいからやめよう。母とふたりで父の悪口になると絶対swear wordが出るから、調子に乗る一歩手前で無口になることに決めた。決めたぞ。
父から私に話しかけやすいような空気を作って、良好な人間関係を築こう。
憎しみの感情を人に抱かせるのも罪だよね。
私の「優しさ」と「理解」という名の犠牲で成り立つ関係だ。一方だけに負担をかける関係は破綻しているが、父は死ぬその日まで気づくことはないのだろうな。
あと指折りの、この世で過ごす両親と一緒の時間。憎むってすごく悲しい。
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