“ふつう”
夕食前、夫とごはんを早炊きするかどうか話していて、こどもたちにおなかの空き具合を聞いてみた。
あんまり空いていないとうので「じゃあ、普通炊きで!」と私が夫に言うと、横にいた次女(5歳)が「”ふつう”はないよ。」と。
彼女たちが「ふつう」って言葉を使うと私が「"ふつう"って何?」と聞き返すせいだと思うのだけど。
およよ、これはちゃんと説明しておかないとこどもがどこかで困るかもと他の人が使う時は気にするなよという意味を込めて説明した。
「普通って言葉を使う人はいると思うし、その人は"みんな"とか"まんなか"を言っているのだと思う。でもママは普通ってルールみたいであんまり好きじゃない。」そしたら通りがかりに長女(7歳)が「”ふつう”ってなければいいのに。」
おおっ、とびっくりしたけど、そうかもなぁと思ったりもした。
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でも愛すべき普通もたくさんある。
なんてことない景色とか日々は普通と置き換えれることもある。
「日常」や「いつも」という意味でつかわれる時。
普通という言葉は必要だし、それ自体には罪はない。
「普通」を人の言動に当てはめようとする時が嫌なんだ。
何かを型に当てはめようとする「普通こうだ。」とか。
だったらいっそのこと「98%の人がこうだ。」と言われた方がいい。
そしたら「私は2%なんです。」って言えるけど、「私は普通じゃないんです。」とは言いづらい。
ひねくれ者みたいだけどそう思う。
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写真は幼稚園からのいつもの帰り道、「ねえ、ママ!かげがきれい!」と娘が教えてくれたトチノキの影。
きらきらゆれる影の中を彼女は泳いでいった。
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