#それぞれの10年
次の日かまた次の日どちらか忘れましたが
両親は未だに連絡の取れない
沿岸の祖母、いとこの家の様子を見に出掛けて行きました。
感受性の豊かな私たち子供達は津波があったなど
親から聞かされていませんでした。
もしかしたら兄たちは知っていたかも知れませんが
私はほんとに感受性が豊かな方でショックを起こさせまいと話さないでいてくれたのかも知れません。
ラジオも聞かせないようにされていて聞いた記憶はないです。
ひたすら余震に怯えて兄弟と過ごしていました。
津波があったと知ったのは新聞だった気がする。
そんな中家のピンポンが鳴りました。
隣のお家の方が電気が開通したよって
鳴らして教えてくれました!
なった瞬間、え!今ピンポン鳴ったよね!
って歓喜した記憶があります。
教えにきてくれた隣のお家の方にめちゃくちゃ感謝しました。
親がいなくて電気が開通してくれたのはとても安心しましたし嬉しかったです。
テレビをつけるとあのぽぽぽぽーんのCM
何度も何度も聞いて飽き飽きしました。
あのCMは2度と見たくないです。
帰ってきた両親からは祖母もいとこたちも無事だが
街は大変なことになっていたと聞かされました。
電気が通ったって隣のお母さんが教えにきてくれたんだよ!って話した記憶があります。
それからは割と普通の早めの春休みと同じように過ごしていました。
次は春休みについて書きたいと思います。