
ファッションがわたしの自己表現になったきっかけ
この記事は2024.12.11の音声配信を文章にしたものです
昨日、ファッションについてつぶやいたスレッズの投稿がバズり(1.1万回表示)、
多くの方に見ていだたきました。
わたしは心地よい暮らしを目指してモノを減らしているのですが、
洋服に関しては好きなものがいっぱいあるので、割と持っている方だと思います。
でも、無理に減らそうとは思っていません。
なぜかというと、好きな洋服を着ることが自己表現の機会になっているからです。
幼少期のファッション事情
実家にいた頃は、母と買い物に行き服を買ってもらいました。
お店は、母の好みのブランド。そこで気に入ったものがあれば買ってくれます。
自分の好きなお店に行って好きな服を買うというよりは、
わたしが選んだものが母の好みだったら買ってもらえる、そんな感じでした。
好きな服を買ってもらえることもあったけれど、
そういうときは渋々(納得してない感じ)が伝わってきて、気持ちよく受け取れませんでした。
認めてもらえない服を着るのにも罪悪感があって、
心から楽しんで着ることができなかったんです。
バイト代を服に注ぎ込んだ大学時代
そんな感じで過ごしてきたので、
大学生でバイトをし始めたとき、自分で稼いだ自由に使えるお金を服に使っていました。
自分の好きな服を買って着られる、という嬉しさは人一倍でした。
奨学金や将来のための貯金にあてることもできたのですが、当時のわたしはあまり考えていませんでした。
とにかく心が満たされるまで好きな服を買って好きな服を着て出かけたい、そういう気持ちが強かったんだと思います。
ファッションは自己表現
わたしの親は、万人受けする正当派な服を好んでいました。
そうじゃない系統の服だと、変な服に映るみたいです。
今でも「変わった服だね」「その服なに?」と言われます。
服をチェックされてるような気がするんですよね。視線も感じます。
言われても気にしないのが一番だし、前と比べたらスルーできるようになりましたが…
わたしの中では、自分の好きな服を着たいように着ることが自己表現の一部。
向こうは服をただ見て言ってるだけかもしれないけれど、
わたしにとっては表現したものが否定されている気持ちになります。
もしそういうふうに思ったとしても、それは家族であっても、
思ったことだけをただ胸にしまってほしいなと思うんですよね。
好きな服を好きなように着ていい
昨日スレッズに多くの「いいね」をいただいて、すごく嬉しかったです。
自分の感覚ってどうなんだろう?と、
今でも気になったり不安になったりする瞬間ってあるんですよね。
同じような気持ちの人がいると思えるだけで、安心できました。
念のために言っておくと、わたしは全然奇抜な服装ではないです 笑
強いていえば、ユニセックスな感じかもしれないですね。
女の子らしい服装はあまり好まなくて、
モノトーンや古着も好きだし、夫の服を借りたりもします。
ぴったりしたのも苦手で、ゆとりのある服ばかり着ています。
最近は気持ちがファッションにも現れている気がするんですよね。
家族に限らず、人からどう思われてるかは言われなければわからないですよね。
でも、それでいいのかなって思っていて。
自分と好みが違ったとしても、ありのままを受け入れる。
それは相手を尊重する気持ちがあってこそだと思います。
子どもたちにも毎日自分で服を選んでもらっています。
そういう気持ちをこれからも忘れずにいたいと思いました。