独身=ほろ苦い。なのですか?教えて先生。
どうもこんにちは。みいです。
TVを見ながらライフスタイルについて考えた話です。
ちょっとお怒り気味です。
独身。結婚していた経験もない。パートナーもいない。
それが今の私。
すべてではないけれど、大人になるとこの辺りの肩書についてジャブを打たれることがある。
大人になればなるほどジャブがボディブローになり、カウンターになるのだろうか。
(もうガチガチで右ストレートくらっているのかもしれないが、私自身がそう受け取っていないだけかもしれない)
そして、結婚しているか、もしくはパートナーがいるかを一つのステータスかのように扱う風潮、いつまで蔓延る??
私はいわゆる地方の人間なので、田舎に帰るとその話題は絶対降りかかってくるし、孫の顔が見たいと親にも言われるし、友達もみんな結婚している。
ある程度の大人になった人たちがその矢面に立たされるのって本当に理不尽なんじゃね?と特に思っている最近。
だけど、これを何人も、何万人も、何十万人も、、、の諸先輩方が通ってきてくださっていると考えると頭が下がるし、尊敬する。
この手のエッセイやブログって、世に溢れているし、読んでもいる。
でも読むたびにはやくそういう風潮終わんないかなあと若干のほろ苦さを感じる。
何がほろ苦いかって、そこにいる人の意思は置き去りにされているように見えること。
結婚したいか、したくないか、パートナーがほしいか、ほしくないか、そもそも恋愛をしたいのか、したくないのか、、、、
いろんな儚い要素が積み重なって今があるのは誰だってわかるはずなのに、こういう話題になるとそれは全無視される。
そして、結婚できていない方に問題があるというようなバカきもい視線が、できていない人を飲み込もうとする。
そう見られることも嫌で仕方ないけれど、それによって自己肯定感が下がってしまいそうになるのが1000000倍嫌。
感情表現が下手なのか、とか考えこんじゃったり。
下手でもいいのにね。
こういうエネルギーの使い方をしたくないので、私は逃げたい。
どこか知らないところへ。
と、思っていたら友人から韓国に弾丸で行ってきたよ報告を貰った。
これは、そろそろ呼ばれているかもしれない。
私の新しい複数拠点生活への道を開くときが来たかもしれない。
何も持っていないと思いがちだけれど、それぞれが自分だけの経験の、感情の集合体。
ぜったいにうまくいくと信じて。
テテさんとヨンタン様の連日のメディア露出で癒されていたはずなんですが、急にもやもや増大してしまいました。
ここにこんなこと書いてもいいかなあと思いましたが、ここは私の場所でした。忘れてました。
いつも以上にここまで読んでくださってありがとうございます。
ではまた明日。